日朝交流の現場から−この町で一緒に生きる |
私は日本人。公立の小学校で33年、教師の仕事を続けてきました。平教員として、子どもたちと一緒に歩み、担任を持ちつづけて今日にいたっています。 「教え子を再び、戦場へ送らない!」、その言葉をもっとも大切にして生きてきました。 でも、もう一つのライフワークを持っています。それは学生時代に出会った「フォークソング」です。「シンガーソングティーチャー」「歌う先生」として、いろいろな場所・機会で歌い、発信してきました。「戦争のない、平和な世界を!」「子どもたちに学ぶ喜びとかけがえのない人生を!」、教師として、人間として語りつづけ歌いつづけてきました。 私は、愛知県の瀬戸で生まれ瀬戸で育ち、瀬戸で教師の仕事をしています。瀬戸は焼き物とかかわりの深い町です。1300年ごろ中国、朝鮮から多くの焼き物の技術を学びました。多くの中国、朝鮮の人々が瀬戸に移り住み、その人たちのおかげで、いまの瀬戸の焼き物の歴史があるのは間違いありません。 私の血の中に多くの中国、朝鮮の血が混在しているものと信じています。だから私は中国、朝鮮のみなさんと仲良くしたいのです。同胞なのです。友だちなのです。 瀬戸には今も在日朝鮮人の方が多くいます。私は自分の学校に通う多くの在日朝鮮人の子どもたちを教えてきました。また、私のいま住んでいる家の前の地域には、在日朝鮮人の方が多く住んでいます。 だから、「在日朝鮮人のみなさんとどのように仲良く生きていくかは、私の生き方そのものだ」と思い生活してきました。でも、どのように自分の気持ちを行動に移したらよいのか、試行錯誤の日々でした。 ある日、ひとつの出会いがありました。愛知朝鮮第7初級学校で教師をしている蔡一恵さんとの出会いでした。彼女との出会いが朝鮮とどうかかわり、在日朝鮮人の方とどのようにともに生きていくのか、私にできることがわかったのです。 瀬戸で生きる教師として、地域にある愛知朝鮮第7初級学校と、その学校の先生や生徒たちときちんとかかわって生きていこうと思いました。 2月8日には愛知朝鮮第7初級学校で「パンガプスムニダ(歓迎します) ドレミ先生、光お姉さん」という交流会を開いてもらい楽しい1日を過ごすことができました。交流会では、私のライフワークにしているオリジナル曲「瀬戸の歌」を朝鮮の子どもたちにも覚えてもらい一緒に歌うことができました。 また、3年生の子どもたちに、自分たちの学校がある瀬戸のことをもっと知ってもらおうと、社会科の授業として瀬戸の町を案内し地域を学ぶ機会を持ってもらいました。 そんな朝鮮学校との交流のなかで私は、確信を持つことができました。在日朝鮮人のみなさんと一緒に仲良くこの町・瀬戸でいつまでも一緒に生きていけると…。(加藤隆正、愛知県瀬戸市公立学校教員) [朝鮮新報 2003.4.8] |