着実に友好の輪広げる−「日本と朝鮮の生活を語る会」会長福原孝浩さん |
日本海(朝鮮東海)に面した人口約5万人の島根県益田市は、山口県との境に位置する。日本学校教員を経て現在、塾を経営する福原孝浩さん(61)は、同市の、日朝友好の架け橋的な役割を果たしてきた人物だ。1983年12月の「日本と朝鮮の生活を語る会」(以下、「語る会」)結成以来、月1回定例学習会を開き、朝鮮、在日朝鮮人問題について考えてきた。例会通信も毎月発行(3月で233号)。「草の根運動の貴重な存在。専従のような活動ぶり」と、総聯島根県本部の金相逢委員長も脱帽するほどだ。 会員16人から50人に
「語る会」は日本と朝鮮の文化、社会、生活、歴史を学び、民族の違いを乗り越え互いの友好を深めることを目的に結成された。例会では毎回、在日朝鮮人講師らを招いて、日本の植民地支配に対する歴史、対北政策、報道の本質、そして在日朝鮮人の発生史とその後の日本社会の差別政策などについて学習。朝鮮料理教室なども催してきた。 結成のきっかけとなったのは、会長を務める福原さんが70年代、兵庫県尼崎市内の中学校で教べんを取っていた時の出来事である。 「在日の生徒に対する進路指導の際、将来の夢を尋ねると『カラオケ店の従業員』など、悲観的な生徒がいた。在日を取り巻く日本社会の差別的な政策は理屈では知っていたものの、肌で感じることはできなかった。彼らの気持ちを心から理解することができなかった」。 この「心残り」を解決したいと80年、生まれ故郷の益田市に戻った折り、「語る会」を結成したという。 PTA役員の賛同を得て、16人の参加のもと、第1回例会開催とともに発足を宣言。今では会員は教員や市議会議員、牧師、学生など約50人に拡大し、月1回の例会を開いている。 例会の報告を兼ねた通信「안녕하세요」(こんにちは)には、朝鮮問題にも言及。通信は会員とのふれあいを深めようと手配りだ。講演会には100人を超える市民が集うこともあり、友好の輪は着実に広がっている。 「語る会」について福原さんは、「朝鮮、在日朝鮮人を知り、そして自らの歴史を探る足がかり≠ノなった。当初は責任感でやっているという意識もあったが、今ではライフワーク=vと強調する。 1世の聞き書き掲載
福原さんは「語る会」の活動を土台に、在日朝鮮人に関する諸問題を、市の広報などを通じて市民らに訴えてきた。 とくに、86年に発行した小冊子「民族差別をなくすために−正しい日朝関係史−(近代)」は、1世20人の歴史をまとめたもので、県内の各発電所、山陰鉄道などが戦前、戦時中、在日朝鮮人の手によって作られたという生の声を伝えた。冊子を読んだ人からは、「日本人としては当然、知るべきこと。しかし、あまりにも教えられなかったことが多い」などの声が寄せられ、「日朝間の正しい歴史観を市民らに持ってもらうことができた」と自負する。 こうした活動が広がり、97年には、朝鮮人強制連行真相調査団の全国集会がここ島根で開かれるまでに至った。 また益田市が7年前に着手した、49年に起きた「益田事件」(発砲を伴う令状なしの違法な密輸入物資捜査で、朝鮮人150人と警察隊が衝突、乱闘となり40数人が逮捕された事件)の内容を訂正する作業にも協力した。「益田市史」などは「鮮人の暴動」と紹介した。 市ではその後、事実を確認し、3年前に訂正(再印刷)するとともに、在日の発生根源、在日外国人への今後の行政対応を知らせる冊子を発行した。市議会議員の寺戸宏さん(59)は、「画期的なこと。あらためて在日朝鮮人の存在、諸問題について考える契機となった」と語る。 建設的意見の提起 2000年の6.15北南共同宣言、昨年の日朝「平壌宣言」の発表など、朝鮮半島を取り巻く情勢に明るい兆しが見え始めた一方で、不審船騒動や拉致問題が起きた。例会でもそれらの問題について語り合った。その結果、「それでも市民レベルの交流は必要」「政府間で解決する問題であり、政府は不自然な関係を正常化することにまず努めるべきだ」という方向でまとまった。 「建設的な意見でまとまったのも、日朝間の過去の歴史を正しく認識していたからではないか」と福原さん。今後は、「若い世代を網羅し、日朝双方、手を取り合って交流していき、真の友好とは何かを考えていきたい」と目を輝かせていた。(羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.4.28] |