生まれ育った生野で働き、暮らす−グループホームに住む梁雅美さん |
朝9時、実家に近い大阪市生野区のグループホームから「あかとんぼ作業所」(社会福祉法人聖フランシスコ会)に出勤。掃除、製品の組み立て作業にとりかかる。梁雅美さん(30)の日常だ。重い知的ハンディを持つ雅美さんだが、家族や地域の人たちの支えのもと、グループホームでの自立生活を始めて3年が過ぎた。生まれ育った生野での穏やかな日々だ。(張慧純記者) 家事、買い物
金曜日は雅美さんが大好きな健康体操の日。1週間の労働を終え、明くる日は実家へ帰るリズムを確認する日でもある。「おはよう」「元気やった?」。会場の生野区スポーツセンターの門をくぐると、中高年の女性たちが雅美さんに声をかけてくる。 1990年4月にオープンした「あかとんぼ」には現在、7人の知的障害者が肩を並べて働いている。奇遇にも在日コリアンが多数を占める。1階はリサイクルショップ。雅美さんらの仕事場は2階。スタッフの手助けを受けながら100円ショップの商品を組み立てたり、建築用の大きな釘を束にしたり。仕事は地域の人たちの協力によるものだが、その量も浮き沈みがあり、月の給与が1000円に満たない時も多い。 雅美さんが暮らすグループホームは一軒家。知的障害を持つ4人の共同生活だ。世話人が食事やコミュニケーションを手助けするが、雅美さんはこの生活を始めてから米も洗えるようになった。金銭感覚を身につけるため買い物にも出かける。 母、金東子さん
彼女の現在の生活は、オモニの金東子さん(59、大阪ムジゲ会副会長)を抜きに考えられない。 雅美さんが生まれてからの30年、金さんは彼女の成長のためなら、と夫の梁致満さんと自営業を営む傍ら、児童相談所や病院に通いつめてきた。「普通に学ばせたい」と小、中は公立校の普通学級に通わせ、地域の日本の人たちとの付き合いも人一倍気づかい、障害を持つ雅美さんへの理解を求めてきた。 わが子の将来を案じる毎日、常に頭から離れなかったことは、雅美さんが地域でどうすれば根を張って暮らしていけるのかだった。 「あかとんぼ」との出会いは同じ高校に通わせていた保護者から声をかけられたことがきっかけ。作業所を運営する「聖フランシスコ会」の献身的な活動にもひかれ、即決した。
「あかとんぼ」入所後、グループホームを作りたいという話は保護者の中で何度となく持ちあがっていた。障害者を抱える家族にとって、「親亡き後」の心配は片時も頭から離れない。話が出て一年が過ぎた頃、グループホーム作りを進めていた「アクティブ」のメンバーを中心に話が具体化した。金さんら設立に必要な4人で「第1号」になることを決め、準備金や住居、ほかの人たちの経験を学び始めたのだ。 障害者が生まれ育った地域で暮らすグループホームの動きは各地で広がりつつあるが、住居がみつからないのがネックになっている。これは障害者に対する理解のなさから来るものだが、金さんらの場合、「あかとんぼ」職員の原川有子さん(30)の夫・原川剛さん(37)が物件を紹介してくれ、話が一気に進んだ。 地域の理解も大きかった。金さんが旧知の民生委員長に相談に行ったところ、近隣の家をすべて回り、理解を求めてくれた。住民も快く承諾してくれた。 地域の協力が花開き、晴れてグループホームが実現した。しかし、金さんと家族にとってこの選択は簡単ではなかったという。金さん自身、「自分が楽になりたいのか」「追い出すような形を取ろうとしてるんちゃうか」と何度も自問自答し、家族とも何十回と話し合った。 雅美さんを送り出して3年。金さんには忘れられない思い出がある。作業所が設立10周年を迎えた日。雅美さんが花束と海が見える高層ビルでのフランス料理をプレゼントしてくれたことだ。 「花束をもらった時、涙が止まらなかった。自分の世界を広げている雅美。若いうちに新しい出発をさせてほんまよかった」(金さん) [朝鮮新報 2003.5.30] |