top_rogo.gif (16396 bytes)

39年の計画で大々的に

 次に、強制連行が行われた時期について見てみたい。

 日弁連の勧告では、次のように指摘している。

 「国家的な政策として明確に示され、大々的に実行された時期は、1939年の国家総動員法に基づく企画院立案の労務動員計画の実施に始まり、45年の日本の敗戦で終わる」

 そして、その労働形態(内容、方法)として@国家総動員法に基づく労務動員計画および国民動員計画の実施による朝鮮からの労務動員A国民徴用令による日本国内からの労務動員B軍人、軍属、女子挺身隊、慰安婦としての戦争動員のすべてを含み、39年以前に行われた「誘拐」などの行為による結果も該当する―ものと規定した。

 この過程には、「募集」「官斡旋」「徴用」の名のもとで行われた強制連行も含まれている。

 大々的に行われたのが39年以降で、それ以前の「誘拐」行為も含むと指摘した点は、注目すべきだ。従来、歴史的な視点と時期的な区分から論じてきた朝鮮人強制連行という用語を、法的な視点から再検討した結果といえる貴重な見解だからだ。

 これは前回の記事で触れた37年の日本大審院(現在の最高裁に相当)判決を念頭に置いている。日本から女性をだまして中国・上海の「海軍慰安所」に連れて行った日本人経営者に有罪判決が下されたことで、それが強制連行であることが裏付けられた。ちなみにこれによって、「慰安婦」被害者は「いい仕事だと言われて来たので、強制連行ではない」としてきた一部グループの論理も完全に崩れることになる。

 次に、強制連行先および人数については、日本政府が作成した朝鮮総督府帝国議会説明資料、日本国内務省警保局の「特高月報」および各地の現地調査によると、日本など朝鮮国外に約150万人、朝鮮国内に約450万人となっている。朝鮮国外は、そのほとんどが日本国内への連行であり、現在の在日同胞社会を構成しているのはその子孫たちである。(羅基哲記者、監修=朝鮮人強制連行真相調査団)

[朝鮮新報 2003.2.6]