奴隷制、人道の罪に違反 |
奴隷制問題について、国連は1926年に「奴隷条約」を採択、翌年に発効した。日本はこの条約を締結・批准していないが、日弁連の勧告は「奴隷条約が禁止する内容は本件当時、習慣法として確立していた」と指摘する。 この条約が当時習慣法として確立していたかについて、98年8月の第50会期国連差別防止少数者保護小委員会で採択されたマクドウーガル特別報告者の報告は、「習慣法による奴隷制度の禁止は第2次世界大戦までは明確に確立」していたと言及。奴隷状態にあったかについては、米国、中国、英国3カ国による日本の戦後処理に関するカイロ宣言(44年11月)で、「朝鮮人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する」と指摘している。日本はその1年後のポツダム宣言(45年8月14日)でカイロ宣言を受諾、無条件降伏している。 つまり、日本政府も朝鮮人が奴隷状態にあったことを認めていることになり、また慣習法として国際的に禁止されていた奴隷制度の禁止という国際法上の義務を日本は負うことになる。 「人道に対する罪」は、極東軍事裁判所条例およびニュールンベルグ軍事裁判所条例において初めて実定化された戦争犯罪である。 日本を加害国として裁いた極東軍事裁判所の条例第5条では、「人道に対する罪」について、「戦前または戦時中の殺りく、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為、もしくは犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とに関わらず、政治的・人種的理由に基づく迫害行為」と定義している。 この条項は、秋田県花岡の中国人強制連行に関する軍事法廷(横浜第8軍司令部)において適用され、弁護人からの再審議申し立てを退けている。ちなみに東京軍事裁判所の条例および判決は、46年12月11日の国連総会で再確認され、50年の国連総会で報告された。そして日本は51年9月に調印したサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)でそれを受諾(第11条の戦争犯罪)した。 なお日弁連の勧告は、損害賠償請求ではなく、人権救済を求めた申し立て人の申し立てを受けての勧告で、賠償請求権などとの問題とは異なる。そのため日弁連が事実関係を調査し、人権侵害を認定した以上、勧告を受けた小泉首相と連行先の2企業は、申し立て人の人権を救済する意味から、尊厳を回復するための適切な措置を講じることが求められる。また首相と2企業は、勧告後1年以内(今年10月まで)にその結果を日弁連に報告しなければならない。(羅基哲記者、監修=朝鮮人強制連行真相調査団) [朝鮮新報 2003.2.20] |