朝鮮学校の子どもへの暴言、暴力−差別処罰の法整備を |
「もうやめて」 「自分以外にも、嫌がらせや暴言を受けている子はたくさんいる。こんな嫌がらせ、もうやめて」 先月末、ついに東京朝鮮中高級学校に通う女生徒のチマ・チョゴリが切り裂かれた。事件が起きた翌週。痛めつけられたであろう彼女の思いを聞くために同校を訪れた。 彼女は当惑していた。昨年9月、朝鮮による日本人拉致事件が明らかになってから友達の中にも嫌がらせを受けた子はいたが、まさかチマ・チョゴリが切られるとは思わず、信じられなかったという。その表情は、民族衣装でもあり、制服でもあるチマ・チョゴリが切られた悲しみと、何の罪もない子どもたちが次々と狙われる不条理への怒りが複雑に絡み合った、形容しがたいものだった。制服を着られず、電車や通学路で朝鮮語の使用をためらうという、あるべき自分を隠して過ごさねばならない状況。朝鮮学校の生徒たちは直接的な暴言、暴行に加え、心理的に苦しめられている。 法務省へ要請 朝鮮学校の児童、生徒たちに対する暴言、暴行事件が発生するたび、同胞と心ある日本市民は、日本政府と関係者に再発防止と差別の連鎖を根絶するための人権教育や啓発活動の強化を訴えてきた。 事件が起きた1週間後の同月6日、在日本朝鮮人人権協会の弁護士と職員は嫌がらせや暴行に対する実効性ある防止策を講じるよう、法務省に要請に訪れた。その際対応した法務省人権擁護局職員は、差別を根絶するために若者の心に訴えやすい、映像を使っての啓発活動に取り組んでいるが、心の問題はすぐに変わるものではないので難しいと述べた。また、嫌がらせをなくすため、昨年9月から朝鮮学校の最寄りの駅で嫌がらせ根絶を呼びかける人権啓発の小冊子やチラシを配布しはじめたと説明した。 彼らが言うように、社会の風潮は「すぐに変わるものでない」。だからこそ、法務省のみならず、文部科学省とも協力しながら人権教育と多文化教育、交流をプログラム化するなどの積極的な取り組みが必要だ。それをおざなりにしてきた結果が現在の嫌がらせ多発に結びついていると感じた。 配布しているというチラシには在日韓国、朝鮮人児童、生徒への差別をやめようと訴える文言がある。以前同局が作成、差別撤廃のための秘策のように国連の人権会議で宣伝し、その実、効果がなかった一般的なポスターよりは1歩前進した感があった。 しかし、生徒が1人の時や、遠方から通学する生徒が大勢いることをかんがみた時、最寄りの駅のみならず、幅広い地域で配布する必要があり、日本の学校にも配る必要があろう。 今回の要請で強く感じたことは、日本政府に事の重大さに対する認識が欠落しており、それゆえに問題解決のための抜本策が何ら講じられていないということだ。事態を深刻に受け止めず、うやむやにしようと放置するような日本政府の対応は、これまで日本政府が植民地支配について謝罪と補償を放置してきた事実と実に似かよっている。 政府の姿勢が日本社会に忠実に反映され、歴史をわい曲したり、嫌がらせを自作自演だとする輩が出てくる。朝鮮学校生徒に対する暴言、暴行は日本政府の怠慢と無縁ではない。 国連委員も憂慮 2001年3月、ジュネーブで開かれた国連・人種差別撤廃委員会。朝鮮学校の児童、生徒たちに対する嫌がらせを知った世界各国の委員たちは深く憂慮した。彼らは、人種差別撤廃は社会の責任であり、時には処罰が必要と考えるが、日本社会が実際にどのように差別を撤廃しようとしているのか、加害者は処罰されるというが、その数は少ないし、暴力や名誉毀損を処罰しているだけで、人種差別行為を処罰していないのではないのかと、日本政府を追及した。そして委員会として日本政府に対し、「コリアン(おもに子どもや児童、生徒)に対する暴力行為およびこの点における当局の対応が不適切であるとする報告に懸念し、政府が当該行為を防止し、それに対抗するためのより断固とした措置をとるよう」勧告した。 一連の暴言、暴行事件を根絶するためには、国際人権機関が勧告したように、人種や民族に基づいた差別行為を処罰するための法整備が急務であり、同時に、多岐にわたる人権教育が不可欠である。子どもたちが臆することなく、自分らしく暮らせる社会を作っていくため、日本政府に対してより積極的、効果的な対応を求めていきたい。(宋恵淑、在日本朝鮮人人権協会事務局) [朝鮮新報 2003.2.25] |