1日14時間、坑内で重労働 |
これまで、日本弁護士連合会の勧告を踏まえながら、朝鮮人強制連行、強制労働問題についてみてきた。勧告は、国際法の視点からこの問題に関する見解を指摘、日本が当時批准した条約に違反し、強制連行者は奴隷との視点で問題点を明らかにした。そして、日本に住む被害者およびその遺族に対して、国際法の視点から人権を救済し、尊厳を回復させ、謝罪すべきことを小泉首相と連行先の2企業に促すとともに、1年以内にその結果を報告することを提起した。今号からは強制連行・強制労働の実態について紹介する。 千葉市に住む鄭雲模さん(81)は日弁連に人権救済を申し立てた本人である。 トラックに乗せられ 1921年、忠清北道で生まれた。42年2月のある日突然、面事務所に呼び出された。「足尾銅山で国のためだから、3年間仕事をしてこい」と、斉藤という足尾銅山の坑内部長に言われた。「オモニ(母)の面倒を見るのは私しかいないから困る」と答えると、殴られ蹴られた。 翌朝早く、母を連れて逃げようとしたら、家は斉藤とその部下で囲まれていた。そしてトラックに強制的に乗せられ清州まで連れて行かれた。そこから特急列車で釜山まで運ばれた。150人ぐらいの若者がいたようだ。釜山から船に乗せられ下関に着いた。 四方八方から木刀 連行された足尾銅山(栃木県・古河鉱業足尾鉱業所)では、1日平均14時間以上、1年中休みなしで、坑内で線路施設のために「チンコロ」という重さ50キロのレールを曲げたり、伸ばしたりする機械を使って仕事をすることを強いられた。 作業環境が劣悪で危険なため、落盤事故で死亡した者も少なくなかったが、死体を放置して埋葬されなかったため、作業所の幹部に抗議したところ、正座をして頭に両腕を組ませた状態で、四方八方から木刀で力いっぱい殴りつけられた。また暴行を受けた際、「半島人の1匹や2匹、くたばってもすぐに補充できる」と言われた。 一応給料日はあるものの、「日本が戦争に勝てば幸せになるから待っていろ」と言って、たばこ代と言ってくれる小銭のほかは、債券を買わされて手元には1円も残らなかった。(日弁連の勧告より、羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.3.7] |