日本社会豊かにする試金石−受験資格問題と関連し京都で緊急座談会 |
朝鮮学校をはじめとする外国人学校卒業生の日本の大学入学資格(受験資格)問題と関連し、これまで活発にこの問題に取り組んできた京都で13日、緊急座談会を開いた。留学同京都・金範重委員長の司会のもと、龍谷大学の田中宏教授(一橋大名誉教授)、民族学校の処遇改善を求める全国連絡協議会(民全連)代表の金秀蓮さん(京都薬科大学4年)、今春、京都朝高を卒業して神戸大学に進学する鄭弼溶さんらが出席した。(まとめ=羅基哲記者) 仏・独学校は? ―インターナショナルスクールだけに限るとした文部科学省決定はさまざまな矛盾を含んでいる。田中先生に聞きたい。 田中 まったく説得力に欠け、矛盾点も多い。 まず、「一定水準」にあると認証された欧米のインターの卒業生だけに、受験資格を付与すると決定したが、すでに大学受験資格として認められている仏バカロレア、独アビトゥアなど本国の大学入学資格取得を奨励しているフランス人学校やドイツ人学校を除外するのはおかしい。 また、「対日投資」を誘致したい経済界の強い要望などを背景に規制改革を行うというのなら、判断を大学に委せることが規制緩和だ。 韓国の高等学校卒業生には、「外国において学校教育における12年の課程を修了した者」(日本の学校教育法施行規則第56条第1号)を根拠に受験資格を認めているが、例えば高校2年まで韓国の学校で学び、高3から日本にある韓国系の学校に編入すると、受験資格は得られないのはそのままだ。 さらに、学校法人として登録している朝鮮学校は認めず、無認可のインターを認めるというのも理解しがたい。無認可校には13校のブラジル人高校もあるがまったく除かれている。 専修学校卒業生にはすでに受験資格が認められているが、そこには「学習指導要領」はない。朝鮮学校は日本の教育システムと同じ6・3・3制を実施している。つまり文科省の主張には、何の合理性もないということだ。 国立大教授も声明 ―今回の決定には、日本社会からも強い批判の声が上がっているが。 田中 11日、国立大学の教職員らが連名で「民族学校出身者の受験資格を求める声明」を発表した。声明には約1週間で70の大学、946人の教職員が賛同したが、そのほとんどが教員だった。「国立大の独立行政法人化に伴い独自色、個性を生かしたい」という思いや、「なぜ欧米はよくてアジアはだめなのか」、また「拉致問題に教育問題をからませるのか」といった疑問などから名を連ねたと聞いている。 ―民全連ではこの問題について、代表を国連に派遣してアピールしてきた。 金 これまで96年の結成前、そして結成後の計5回、国連の各種人権条約の遵守状況をチェックする国連人権委員会などに参加し不当性を指摘してきた。その結果、国連は日本政府に是正を勧告したが、日本は無視してきた。 こうした国連の勧告、日本弁護士連合会が日本政府に行った受験資格や公的助成などの差別是正を求める勧告(1998年)が出されるなか、大阪、広島、愛知の朝鮮学校関係者らが今年1月に文科省に要請した。その際、河村建夫副大臣が「朝鮮、中華学校もインターナショナルスクールと一緒に認められるべきだと思う」と前向きな見解を示したことから、大きな期待を寄せていた。それだけに今回の決定は、とてもショックだ。 ―朝鮮学校生徒は、日本学校生徒と比べて多くのハンディーを背負わされてきたが。 鄭 日本の大学を受験するためには、通信制の高校に通って受験資格を得るか、大学入学資格検定(大検)を取得しなければならない。僕は高級部2年の夏に大検を取得した。試験は年2回、9科目に合格しなければならない。試験の時、感じたことだが、日本の受験者のほとんどは不登校生で、不登校でもない僕がなぜ≠ニ思った。 金 私は朝高に通いながら通信制の高校に通う、「ダブルスクール」という二重の負担を背負わされた。また大検も取得した。私の時代は、試験が年1回、科目は11科目だった。科目が多いにもかかわらず、試験の機会は少なかった。経済的、精神的、時間的負担がのしかかった。家庭にもだ。こうした負担について日本の友人らは、信じがたいと一様に言っている。 日本人自身の問題 ―まさに許しがたい決定だが、受験資格を勝ち取るためには今後、どういう行動が必要なのか。 田中 文科省決定の矛盾を突くとともに、大学院の門戸開放の時のように、国立大が独自の判断で認める道が考えられる。 すでに、公私立大学の半数以上が独自の判断で朝鮮学校卒業生の受験資格を認めている。声明に名を連ねた国立大の教職員らが、その実現のために各々の大学で具体的に行動していくことが重要だと思う。 鄭 有利なのは在日同胞が多く住む関西地方、京都大学や大阪大学、神戸大学ではないか。 金 民全連も朝・日の学生で連帯し、国立大の学生を中心に、教職員らに働きかけていきたい。 田中 またこの問題は、日本社会をいかに豊かにし、いろんなバックグラウンドの人といかに共存していくか、という日本人自身の問題でもある。在日の人も、各界各層の日本市民との連けいを強めながら、運動を展開してほしい。 [朝鮮新報 2003.3.15] |