高級住宅地に地下工場 |
大阪と神戸に挟まれた兵庫県西宮市は、戦前からのベッドタウンで、今でも高級住宅地が建ち並ぶ。そこにも、戦争末期、朝鮮人労働者が作った、地下工場があった。川西航空機の分散工場である。 この地下工場の発見は、地元住民の大きな反響を呼んだ。高級住宅地、甲陽園(バブル時には坪4〜500万円)の地下に、20数本のトンネルが現存していたからである。 また地下工場内には「朝鮮國獨立」という文字が残っており、日本各地だけでなく、ドイツ、ロシア、米国、そして南朝鮮の要人の見学もあり、保存が強く望まれた。 この地下工場、建設当時の技術関係者によると、トンネル掘りの主力は朝鮮人労働者で、その数は2000人と証言する。またほかの関係者によると、労働者の一群の中で50人くらいの青いなっぱ服に「防」という字の腕章をつけた朝鮮人もいたという。この一群は常に一緒に働き、日本語も十分に話すことができなかった。おそらく、この工場建設のために朝鮮半島から直接連行されてきた労働者と思われる。 それ以外の労働者はすでに日本にわたってきていた朝鮮人で、請け負い企業5社(大林組、西松組、飛島組、鴻池組、奥村組)が募集して確保したものと思われる。その労働者の中には、゙渕煥氏という当時18歳の青年もいた。92年、現地を訪れだ氏は、「このトンネルは、わしらが掘ったんや。(「朝鮮國獨立」の文字を指しながら)この壁の文字もわしらが書いたんや。天皇のためにわしらの人生はメチャクチャになった…」と、泣きながら証言した。 とくに「朝鮮國獨立」の文字は、日本の植民地支配のもとで、十分な仕事もない若者たちが「日本に仕事がある」と徴用され、来てみると文字通りの強制的、奴隷的労働を強いられたなかで、45年の8月15日の解放の喜びにあふれた表現である。(朝鮮人強制連行調査の記録―兵庫編より、羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.4.7] |