事実否定の県 |
1991年2月、千葉県は「本県には朝鮮人強制連行の事実はなかった」(当時の野中副知事)と千葉調査団に回答してきたが、実は、当時の「特高月報」や「知事事務引継書」などからもその事実は存在した。また約10年間の調査で朝鮮人が関係した事業所が県内に約40カ所あることも突きとめた。 東金飛行場建設 とくに、1971年発行の「戸田建設九十年略史」の「4 朝鮮人労働者」では、東部軍の斡旋によって、朝鮮人労務者281人が戸田組の斎藤勤労課長以下16人の補導員に引率され(44年)11月10日、13日の両日にわたり、千葉県山武郡豊成村(現・東金市)の宿舎に到着。その後訓練されて「東金に83人、ウヒに99人、船岡に42人、霞ヶ浦に59人と各現場に配属された」と明記されている。彼らは、東金飛行場建設に従事させられた。 また社史では、現場監督の任に当たった社員たちの発言を総合して、「朝鮮人たちは各現場に飯場をつくって起居していた」「衣服はいわゆる民族衣装で、畑からそのまま徴用された者が多かった」などと紹介。 さらに「強制的に連れてきて苛酷な労働を強いるのであるから、どうしても逃走者が出た」とも書かれている。 本質解明へ 一方、この社史によると、第2次世界大戦中、朝鮮人強制連行を計画、実行した当時の厚生省の会議で、強制連行を「拉致」と報告していたとの記述もある。 1942年8月12日、厚生省大会議室で会議が開かれ、厚生省、商工省、内務省の各事務官、陸海軍省・各府県の課長、統制団体員・協和会会員らが出席、そこで報告された申し合わせ事項、「移入朝鮮人労務者逃走防止ニ関スル件」によると、「(朝鮮)半島より大勢の人間を拉致して、主に軍関係の工場に就労させた」と、朝鮮人強制連行が「拉致」であったことを明記している。 この資料からは、朝鮮人強制連行が厚生省、陸海軍から民間まで公然と『拉致』との位置付けであったと推測できる。今後の強制連行の本質解明に不可欠な視点だ。これにより、日本の国家的戦争犯罪行為に対する責任が、よりいっそう明白に追及されることになる。(基) [朝鮮新報 2003.5.1] |