「血と汗の犠牲忘れない」 |
朝鮮半島から強制連行され、高知県の西南端、柏島の軍用道路建設に従事中、事故で犠牲になった故・朴二東氏(当時27歳、全羅南道出身)の追悼祭が1991年から営まれ、95年の命日(2月5日)には追悼碑が建立された。 最も危険な難所に 柏島は、戦争末期の44年、本土決戦に備えた海軍特攻艇部隊の第134部隊が進出することになり、軍の命令によって柏島〜平山間の10.7キロメートルに軍用道路を突貫工事で建設することになった。同年末に着工、翌年3月末に完成したが、断崖絶壁で最も危険な難所であった柏島の渡り場地域の工事には、朴氏をはじめとする40数人の朝鮮人労働者が動員された。連日、早朝から夜遅くまで長時間、命綱に身を託しての重労働を強いられた。結婚後2カ月目に強制連行された朴氏は、45年2月5日、発破作業中、突然雷管が爆発し、鉄棒が左眼を貫通し即死した。 事故当時のことを知る地元の日本人は、日本の敗戦後、朴氏と一緒に連行されてきた兄が犠牲現場近くに墓を建て、故郷に帰ったという。 その後、墓は放置されていたが、県朝鮮人強制連行真相調査団が91年の発足当時、同建設に従事した李在雨さんの証言から、朴氏の死亡と墓の存在を確認。その後毎年、地元の協力を得て、追悼祭が行われた。一方、地元町民は95年、追悼碑を建立。敗戦後、軍用道路は柏島住民にとっては無くてはならない“生活動脈”になっており、地元には、「朝鮮人労働者の血と汗の犠牲を決して忘れてはならない」との思いが強い。 碑には、日本の朝鮮植民地支配により犠牲になったことなどが明記された。 害外の事実。追求 碑建立当時、建設委員の1人は、「朝鮮植民地支配の加害者として事実を追求し、後世に伝えていきたい。それが真の日朝友好とアジアの平和に寄与する」と語っていた。 碑建立は、加害者が被害者に対する謝罪の一環。ドイツなど第2次世界大戦の加害国は加害行為を永久保存し、被害者に対する追悼祭を今なお行っている。(羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.5.6] |