「埋火葬許認証」から犠牲判明 |
強制連行などにより、日本で亡くなった朝鮮人は数万人とも言われる。岡山県内で最大の強制連行企業、三井造船玉野造船所に従事した朝鮮人も例外ではない。同県朝鮮人強制連行真相調査団では2000年、情報公開条例に基づき玉野市から「埋火葬許認証下附原簿」を入手。出身地、年齢、死亡時の住所=飯場から、16人の犠牲者を割り出した。 北から多数 玉野造船所は戦争末期、中型潜水艦、特殊潜航艇などを生産した。三井造船三十五年史によると、咸鏡北道から1250人、咸鏡南道から750人(以上、朝鮮半島北部)、江原道1500人(北南に分断)から計3500人が連行された。 うち、同調査団の調べにより、44年11月から45年11月までの間に16人の犠牲者が出たことが判明した。年齢はみな21歳あるいは22歳と若い。死因はドックからの落下事故や器材落下事故などである。 90年代に、江原道原州市に住む2人の遺族を日本人が訪ねた。そのうち1人の遺族は、「弟がなぜ死んだのかわからない」といって泣き、「弟には妻と子どもがいた」、「弟が亡くなって父が怒り悲しんで死亡した」と語ったという。またもう1人の遺族は、友人が遺骨の灰を持ってきてくれただけで、遺骨は戻っていないと証言した。 被害実態の把握を 「埋火葬許認証」のうち、1人の遺骨が大阪市天王寺の統国寺に安置されていることも調査により判明した。遺骨には氏名と命日だけが記載されていたが、同「許認証」により本籍、生年月日が確認された。資料を公開した玉野市の対応と統国寺のケースは、特異ともいえる希少なものだ。 こんにち、残念ながら各地の自治体の対応は調査する前から「そのような文書はない」と門前払い状態。多くの寺院では「無縁仏」として扱われ、処理に困り数十体の遺骨を一括して土葬するケースが相次いでいる。 日本政府、連行企業は敗戦後55年を経たこんにち、このような遺骨調査はもちろんのこと、遺族に対する謝罪、死亡連絡すら行っていない。 日弁連の勧告には、こうした被害実態の把握、謝罪、金銭補償を含めた被害回復などの適切な措置を講じることも求められている。(「朝鮮人強制連行調査の記録―中国編」参照) [朝鮮新報 2003.5.16] |