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〈大学受験資格獲得へ(5)〉 1000人署名集めた一橋大生

 一橋大学(東京国立市)で11日、同校の朝・日の学生ら70人が学内で集めた1007人分の署名と石弘光学長あての要望書を杉山武彦副学長に手渡し、04年度入試までに外国人学校出身者の受験資格を独自に認めるよう求めた。受験資格拒否の片棒を担いできた国立大に対し、学生たちはその人権感覚を厳しく問いかけている。

署名、3週間で

構内で集会を開き、差別について訴える一橋大の同胞学生ら

 副学長との交渉を前に、西キャンパスの生協前広場では集会が開かれた。「受験資格、いただきます」と書かれた黄色い立て看板を中心に、学生たちが円になり発言を見守っている。大学入学資格検定(大検)のハンディを負って受験した朝高出身の梁英聖さん(都立大)や、文科省に要望を行った鵜飼哲教授の訴えがキャンパスに響き渡った。

 文科省は3月、一部インターナショナルスクールにのみ受験資格を付与するとの決定を発表、その後再検討を表明したが、今に至るも判断を回避し続け、「検討中」の一点張り。文科省の立場を踏襲し、資格を認めていない国立大も判断を避けている。

 大検、大学入試の締切日が刻々と迫るなか、この現状では何も変わらないと、一橋大の学生たちは「民族学校の一橋大への受験資格を求める連絡協議会」(民受連)を結成、大学が独自に受験資格を認めるよう署名を集めてきた。署名は3週間で目標の1000人を突破したが、この日集まった学生らは署名運動を通じてつながった。同大の学生はもちろん他大学からも合流。都立大4年の吉田遼さんは、「民族教育をしているからと受験資格を認めないのはふざけている。学力がないなら受験で落とせばいい。3週間で署名の目標が達成されたのは普通に考えてもおかしいと思っている人が多いからだ」と憤る。

 また、東洋大学の青柳谷枝さん(30)は、「在日朝鮮人はそもそも日本の植民地支配によって日本に暮らすことになった。大学受験資格問題は昔から続けられている差別が不当だということ、差別をなくしていこうというメッセージを届けられる運動だ」と語る。

過去に拒否の実例

 一橋大が出願資格や出願期間を定めた選抜要項を発表するのは7月初旬。しかし、教授会で外国人学校出身者の処遇が検討されている気配はない。大学としての対応が遅々として進まない中、この日民受連が石弘光学長に求めたのは、@04年度受験資格の認定A募集要項に外国人学校出身者に受験資格を認める条項を設けるB同大が民族差別を自らの力で改善し得なかった点を反省し、人権問題の改善を図る機関を設置する―ことだった。

 しかし、応対した杉山副学長は「後日大学としての考えを伝える」とだけ答えた。「どういう判断で認めていないのか」との質問についても「不勉強で」。

 学生たちが深刻視しているのは、一橋大が今までも差別的な対応を取ってきたことだ。

 一橋大は、1997年10月、同大に出願した朝高生を門前払い。98年には大学院の社会学研究科と学部が、99年には大学院言語社会研究科が朝大、朝高出身者の受験資格を拒否している。ましてや石学長は、「朝日新聞」の「受験資格を認めていないのはどういう理由からか」の質問に対し、「大学独自の判断で認めていない」(99年4月18日)と答えている。差別に加担しているという認識は皆無だ。

 十分な議論もなしに外国人学校出身者を締め出したことに対し、朝・日の学生らは98年5月にも1000人を超える賛同人の署名を大学当局に提出した。

 教員からも異議を唱える声が出はじめ98年末、大学院社会学研究科は国立大学協会に対し、適切な解決策をとるよう求める要請書を提出。翌99年2月には研究科内に作業部会を設け、検討を始めた。時を同じくして同年7月、文部省(当時)は大学院入試に関しては各大学の判断に任せるとの見解を示し、朝大出身生の国立大学院受験の門戸が開かれたが、学部の門戸は閉ざされたままだ。

 「議論が進まない間にも多くの外国人学校生徒は教育の機会を阻まれている」(要望書)。学生が問いかけているのは大学としての良識だ。(張慧純記者)

[朝鮮新報 2003.6.16]