〈関東大震災−朝鮮人虐殺から80年〉 日弁連に人権救済申立中の文さん |
関東大震災(1923年9月1日)時の朝鮮人虐殺事件と関連し、目撃者の文戊仙さん(1908年7月28日慶尚南道生まれ、神奈川県横浜市在住)が1999年11月19日、日本政府による事件の真相究明と謝罪を求めて日本弁護士連合会に人権救済申立をした。文さんは23年当時、東京都品川区で働いていた職場近くの長屋で震災にあった。隣の叔父夫婦の家に避難していると、日本刀やとび口を持った日本人が「朝鮮人は悪い奴らだから皆殺しだ!」とわめきながら威かく。父の友人が殺された所も目撃した。人権救済申立後、日弁連会館で記者会見した文さんは「亡くなった同胞のためにも日本政府に心から謝ってほしい」と語った。文さんの人権救済申立理由を紹介する。 文さんは1923年当時、東京毛織(東京都品川区大井町)で働き、すぐ近くの長屋に両親とともに居住していた。隣には親族の叔父夫婦も居住していた。 9月1日、両親が千葉の鉄道工事に出かけているときに自宅で姉妹とともに震災にあった。震災後、恐ろしくて叔父夫婦の家に避難していると、日本刀や鳶口等を手に持って日本人が「朝鮮人は悪い奴等だから皆殺しだ!」とわめきながら長屋周辺にきた。地震も恐ろしかったけれど、この時はもっと恐怖を感じたと言う。 また、その後、同郷の父の友人が抗議に行くと言って出かけると、その知人は虐殺され、暴徒の一団が友人の首を竹槍のようなものに突き刺し担いでいるのを目撃した。このときに受けた精神的苦痛は現在も解消されず、真夜中に地震だと言って部屋を出たり、徘徊したりしていると言う。(申立人の四女、尹峰雪の話) 申立人の精神的な苦痛は、76年を経た今日も解消されていない。 このような被害は、単に申立人に限ったことではなく、これまで、日本では、過去のこのような行為についての反省が無く、若干あるとしても、単に「かわいそうだった」等の認識であり「犯罪」との視点が欠落している。 その結果、現在も在日朝鮮人に対する差別、暴行(チマチョゴリの女学生に対する)等が繰り返されており、現在も、在日朝鮮人の民族の尊厳が回復されたとは言えない。 このような問題の根絶のために、以下の事項を明確にすることが不可欠だ。 A関東大震災時の朝鮮人虐殺は「集団虐殺」であり重大な人権侵害だ。 B朝鮮植民地統治は、違法であり当然国際法にて外国人(他民族)に対する「集団虐殺」行為としての責任を明確にすべきだ。また、日本国内で行われた行為であることから関連する日本国内法からも問題点を明確に論すべきであり、特に「官憲」が何ら処罰されなかったことから日本政府に責任がある。 日本政府は、再発防止のために、日本に住む全ての在日朝鮮人と外国人そして、日本の新たな未来のために責任を認め、謝罪し、再度繰り返されないように適切な措置をとるべきだ。(申立代理人=洪祥進、朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側事務局長) [朝鮮新報 2003.8.2] |