〈東京朝鮮第2初級学校の土地問題〉 歴史的経緯ふまえ払い下げを |
「東京都 石原都知事に物申す!」−東京朝鮮第2初級学校(東京都江東区枝川)のグラウンド用地の払い下げ問題と関連し、同校父母の会や地域同胞らが現在、「学校の存在、歴史的経緯を踏まえ、都は誠意ある姿勢を持って払い下げを実施する」よう、署名運動を展開している。 災害時の避難所にも
14日には、地域住民説明会が行われたほか、同校オモニ会、都内の朝鮮学校教員などが日本市民を含む地域住民らを対象に署名運動を大々的に展開した。同日現在、目標の1万人を超える1万2000人の署名が集まっている。 署名運動では、払い下げがこの地の歴史的経緯を踏まえ、誠意ある姿勢で行われること、払い下げにあたり、このグラウンドが過去および現在においても子どもたちの育成の場、地域住民の交流の場、災害時の避難場所などのオープンスペースとしての役割を果たしていることを十分に考慮することなどを主張している。 しかし、都は15日、この問題に対して東京地裁に提訴してきた。今後、裁判に持ち込まれる見通しだが、都は土地明け渡しを強行せず、裁判所が提示する額で和解する意向を示している。 交渉過程を無視
本紙既報のように、都はそれまでの学校側との交渉(7月24日まで継続)内容をまったく無視して、10月末、12月1日までに土地明け渡しの処置(買うか、借りるか、明け渡す)を講じるよう求めてきた。 都港湾局課長は2001年9月5日の学校訪問後の住民との意見交換の場で、@歴史的な経緯を尊重するA住民の条件にそった形で払い下げを検討するB公的、また住民にとって大事な場所ということを考慮する−との立場を明らかにしていた。そして交渉は今年7月24日まで続けられていた。 が、都は担当職員を交代させ、同校が都の土地を「不法」に「占有」しているという元都議会議員らによって提出された住民監査請求を受理し、監査事務局からの知事に対する勧告に基づいて土地明け渡しの処置を求めてきた。 問題は交渉過程を無視し、土地明け渡しの処置を求めてきた都側にある。 弁護士らの訪問も こうした都の一方的で理不尽な態度に対し、学校や住民側は、この地の歴史的経緯を踏まえることを主張している。 同地がそもそも、日本の朝鮮植民地支配により日本に渡ってきた同胞らを強制移住させた地であり、学校はこうした彼らによって解放(45年8月15日)後の46年1月に設立されたということだ。 同地には、40年に開催予定だった東京オリンピックおよび万国博覧会場の確保のため41年、会場および関連施設が建てられる予定だった枝川周辺の浜園、塩崎などに住んでいた同胞らが集められた。その数は1000人以上にのぼり、枝川簡易住宅に住まわされた。 都(当時は東京市)は45年末までの一時期はその住宅を管理していたが、その後は土地管理を放棄し、当時の朝連に委託。現在は枝川住宅管理委員会(金成泰委員長=総聯中央江東支部委員長)が受け継いでいる。 同委では2000年、学校所在地の枝川の住民約220戸(同胞約40%、日本人約60%)と都の間で行われた居住地払い下げ事業に携わり円満に解決させた。また校内の駐車場の土地もこの際に払い下げられている。 こうした経緯もあり、同委では「7月までの交渉に基づき、学校という立場も考慮してグラウンドも誠意ある姿勢で払い下げるよう都に求めていく」という。 また来年1月には都の不当な態度に対し、疑問を抱いている日本の弁護士らが学校を訪問する予定だ。同委では、問題解決に向け全力を尽くしていく構えだ。(羅基哲記者) [朝鮮新報 2003.12.23] |