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〈月間平壌レポート〉 NPT脱退で開けた「変革の年」

 【平壌発=金志永記者】朝鮮の2003年は激動の時代を象徴する出来事で幕を開けた。恒例の新年共同社説の学習を終えた直後、人々はNPT(核不拡散条約)からの脱退を宣言する政府声明発表(1月10日)のニュースに接した。共同社説は、今年を「大胆な攻撃をかける年」「壮大な変革の年」と位置付けていた。その意味を人々は政府声明を通じて確認したようだ。

決着つける時

 朝鮮がNPT脱退を宣言した当日、万寿台芸術劇場で行われた国家主催の宴会に参加していた。正午からの宴会開始を前に朝鮮中央通信の記者が耳打ちした。

 「正午に重大報道がある」

 宴会場はその話題で持ち切りだった。報道を聞く前から、参加者たちはその内容を予見していた。

 「条約からの脱退に違いない。米国との関係に決着をつける時がきた」

 政府声明を聞いた多くの人々が、核戦争を想定したチーム・スピリット軍事演習を再開し、国際原子力機関(IAEA)を利用して「特別査察」を強要した米国の軍事的強硬路線に対抗して国内の準戦時体制を宣布、NPT脱退を宣言した1993年の「核危機」を連想していた。朝鮮の人々にとって年の初めに政府が決断した「重大措置」は、過去10年間の朝米対決における当然の帰結であり、苦痛しかもたらさなかった対決構図の「終わりの始まり」であった。

 ふり返れば、敵対国の間にも一連の合意があったが、人々は過大な期待をかけることはなかった。それでも朝鮮は合意を破棄せずにきた。昨年、ケリー米大統領特使が平壌を訪問、新たな「核開発疑惑」によって合意破棄の責任を朝鮮側になすり付けようとした。他の国々はだませても「核計画」の存在自体を否定している当事国に、そのようなフィクションは通用しない。

 むしろ朝米対決のクライマックスに向かって国家と人民が奮起する契機となった。積年の怒りによって突き上げられた決断と行動は「国際的圧力」にも屈することはない。

平和のための「先軍」

 平壌市民は、今後の情勢について一様に楽観的に見ている。当初は新年共同社説に「第二の苦難の行軍」という言葉が入る予定だったが最終段階で削除された、という話が巷に広まっている。これは「対米関係は即戦即決でいく」という意味にも解釈可能だ。人々はそれを国家指導者の意志と受け止めている。

 このような人々の楽観的観測を裏付けているのは「苦難の行軍」の時期に確立された軍事優先路線である。「先軍政治」が人民生活に少なからず負担を強いたのは事実だとしても、「先軍」があったからこそ、朝米「対決」の最終局面を動じることなく迎えることができたというのが実感のようだ。NPT脱退宣言後、金正日総書記は連日、軍部隊を視察している。それは単なるパフォーマンスではない。「先軍」の路線は国家のすべての分野で貫徹されている。ブッシュ政権発足後、いっそう強化されたようだ。

 日本のメデイアは、朝鮮の強硬姿勢を「弱者の瀬戸際外交」と決めつけているが、そうではないことを一番強く感じているのは実は米国自身かも知れない。

 朝鮮外務省のある関係者は「われわれは米国側に自国の軍事的潜在力のすべてを伝えたことはない。彼らは一部しか知らない」と語った。そして「『先軍』がなければ、すでに戦争が起きていただろう。朝鮮の軍事力が核問題の平和的解決を促しているというのが国際政治の現実だ」と指摘した。

打開への期待と熱意

 今年の冬は例年になく寒さが厳しい。米国の重油供給中断による電力難の影響も心配される。それにもかかわらず、対米関係打開に対する人々の期待と熱意は高まっている。

 米国が、拒否し続けた朝鮮との直接対話に応じた場合、昨年来、朝鮮を「核被告人」に仕立て上げようとした論理は通用しなくなる。そのことは2003年を「壮大な変革の年」と位置付けた朝鮮の観点からこそ解釈できるのかもしれない。

[朝鮮新報 2003.1.30]