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朝鮮中央通信詳報〈4〉−NPT脱退までの経緯

 朝米共同声明発表後、われわれと米国との間に第3ラウンドにわたる会談が行われ、その結果、1994年10月21日には、朝鮮半島で核問題を根源的に解決することを公約した朝米基本合意文が採択された。

 朝米基本合意文では、軽水炉プロジェクトの相当量の設備、すなわちタービンと発電機をはじめとする非核部品が納入された後に、IAEAとの保障措置協定を完全に履行することをわが方の義務として規定し、われわれの特殊地位はよりいっそう明白になった。

一時停止させた条約脱退効力の発生経緯

 米国は、最初から朝米基本合意文を履行する意志がなかったし、わが国の「崩壊説」なるものに期待をかけて合意文を系統的に破壊してきた。

 まず、軽水炉提供から自分の義務を誠実に履行しなかった。朝米基本合意文において基本は、われわれの核凍結対米国の軽水炉提供であった。

 朝米基本合意文によると、米国が自国の主導下に朝鮮民主主義人民共和国に提供する軽水炉発電所の資金と設備を保障するための国際連合体を組織し、朝鮮民主主義人民共和国の基本的な相手として、連合体を代表して合意文が署名された日から6カ月内に朝鮮民主主義人民共和国と軽水炉提供契約を締結するようになっていた。

 しかし米国は当時、世界的に4〜5カ国だけが完備した軽水炉建設能力と豊富な輸出経験を持っていたにもかかわらず、まだその実体さえ存在せず、安全性と技術面において確かでない南朝鮮型軽水炉の納入をわれわれに強要し、軽水炉提供契約の締結を意図的に遅らせた。

 それにより、朝鮮民主主義人民共和国と米国が主導する朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)との間の軽水炉提供に関する協定は基本合意文に示された最後の日付である95年4月21日からほぼ8カ月が過ぎた同年12月15日になって締結されるようになった。

 軽水炉プロジェクトの建設状況だけを見ても、最初の着工式は予定より1年余り遅れた97年8月になって行われ、KEDO内の「事情」なるものにかこつけて工事を積極的に進ちょくさせなかった。

 結果、米国が朝米基本合意文によって2003年までわれわれに提供することになっている軽水炉は、今日までに基礎工事が行われたに過ぎない。

 もし、軽水炉の建設日程が約束どおりスムーズに推し進められたなら、2000年頃にはタービン発電機を含む相当量の設備が納入され、われわれがIAEAの完全な査察を受け入れたであろうし、今年からは軽水炉から電気が生産され、われわれは条約に復帰したであろう。

 しかし、軽水炉建設の遅延によりわれわれは、これまで莫大な電力損失を被り、重大な経済的難関に直面し、それは今日、われわれの生存まで大きく脅かしている。

 米国は、朝米基本合意文の第1条第2項によって1号軽水炉発電所が完成される時までわれわれの黒鉛減速型原子炉と関連施設の凍結によるエネルギー損失に対する補償として毎年50万トンの重油を提供することになった法律的義務も誠実に履行しなかった。彼らは、重油の提供をわが方から何らかの譲歩を引き出すための圧力のテコとして不当に利用しようとした。

 米国は、一年間に提供する50万トンの重油を毎月4万余トンずつ均等納入することに対してわれわれと合意しておきながらも、今まで一度も約束を守ったことがなく、はなはだしくはわれわれに対する重油納入があたかも自国の「めぐみ」であるかのように世論をまどわし、長期にわたって重油の提供を中止してから一挙に大量納入を提供して、逆にわれわれに莫大な経済的混乱をもたらした。

 もともと米国は、軽水炉建設遅延によってわれわれが2003年から被ることになる200万キロワットの電力損失を補償する対策を講じるべきであった。

 合意文によって1号軽水炉が完成されるまで毎年、米国が提供する重油50万トンは合意文採択当時、われわれが直ちに操業を開始して電力を生産できるようになっていた5万、20万キロワット発電能力の黒鉛減速型原子炉を凍結した代償として提供するものであった。

 従って、重油50万トンを毎年提供することでわれわれが2003年まで計画したわれわれの原発建設の凍結による200万キロワットの電力損失を代替することはできない。

 われわれは2000年3月、ニューヨーク朝米会談で軽水炉の建設遅延により、われわれが被る電力損失を補償する案を米国側に提示した。

 国家間の関係において、ある一方が義務を履行しないことによる損失を補償するのは1つの公認された規範であり、これは政権が交替したからといって変わることはない。

 昨年11月14日、米国はわれわれに対する重油提供を12月から中断することを決定し、今まで米国が朝米基本合意文でただ一項だけかろうじて履行していた最後の条項まで破棄した。

 結局、われわれは米国の重油提供中断措置による電力不足を補うため、基本合意文に従って凍結した核施設をやむなく再稼動せざるを得なくなった。

 朝米基本合意文第2条には、双方が政治、経済関係の完全正常化に向かい、その活動の一環として合意文の署名後3カ月内に通信サービスと金融決済制限措置の解除を含む貿易と投資の障壁を緩和すべきであると指摘されている。

 共和国政府は、これによって朝米基本合意文の採択後、3カ月が過ぎた95年1月中旬から米国商品の搬入制限措置とわが国と他国間の貿易取引において、米国貿易船のわが国への入港を禁止していた措置を解除することにした。

 これは、われわれが米国との経済貿易関係において適用してきた制限措置の全部であった。

[朝鮮新報 2003.2.10]