〈月間平壌レポート〉 市民が語る「サダムの失策」 |
平和保証の要 米国の対イラク戦争が始まったが、朝鮮の首都では平穏な日々が続いている。中東で勃発した戦争は市民の話題を独占しているが、彼らの表情に緊迫感のようなものはない。戦況を冷静に分析する態度は余裕すら感じさせる。
市民たちは米国が起こした「侵略戦争」を非難する一方、「イラクの哀れな境遇」「フセインの失策」について語っている。 戦争が始まった日の夜、北南関係を担当するある幹部と会食した。当然、話題はイラク問題に集中した。その幹部は、国連査察を受け入れたイラクに対する米国の軍事行動を世界が阻止できないという「国際政治の現実」について指摘した。昨年来、朝鮮のテレビでも国連査察の詳細な内容が伝えられてきた。 「子供でも、テレビを観ながら嘆きますよ。『米国が学級班長なのか、脱げと言われれば、パンツまで脱ぐのか』ってね。軍事力を失えば攻められる、そしてどの国も助けてくれないという現実を判っているのです」 朝鮮とイラクには国交がない。米国はいっしょくたにして「悪の枢軸」と呼ぶが、朝鮮の人々は国際情勢を論じる時、自国とイラクの「違い」についてよく語る。 朝鮮の人々はイラクの大統領を「フセイン」ではなく「サダム」と呼ぶ。米国による戦争が始まると彼に対する評価は定まったようだ。人々はイラクが査察受け入れによって弱体化したのではなく、そもそも国防政策に根本的な過ちがあったと観ている。戦闘を行う前に敵に投降する兵士など、考えられない光景だという。 朝鮮は過去数十年間、国防力強化に力を注いできた。経済的苦境に陥った1990年代にも、その路線が変わることはなかった。いわゆる「軍重視路線」こそ平和を保証するという人々の認識が、平壌に平穏な雰囲気をもたらしているのかもしれない。 NPT脱退の正当性 国防力の強化が人民生活に負担をかけている側面は否定できないが、それでも人々は国の路線を支持する。敵対する米国という国の本質を見抜いているからに違いない。 平壌市民がイラクの査察受け入れに対して批判的なのは、米国の目的が「大量破壊兵器の破棄」にあるとは観ていなかったからである。石油利権の確保と、そのための親米政権樹立を目指す米国にとって査察要求は単なる口実に過ぎないということだ。 新たな国連決議もなくイラクを攻撃した米国の行動は、そのような分析が根拠のない単なる思い込みでなかったことを証明した。イラクは反面教師である。人々は今回の戦争を機に、核問題と関連してNPT(核拡散防止条約)脱退を表明した自国の行動の正当性を一層強く確信するようになった。 「絶対受け入れることの出来ない要求を突き付けるのが米国のやり方だ」。戦争勃発のニュースを聞いたある朝鮮の記者は、「朝鮮に対する『核開発計画放棄』の要求も口実に過ぎない。一度譲歩すれば米国は次々とハードルを上げてくるに違いない」と指摘した。 「米国にとって朝鮮の社会主義は目障りな存在だ。それに朝鮮の自主統一路線は米国の世界支配戦略と真っ向から対立する」 西側のメデイアは、「北朝鮮の脅威」を主張する米国の目的を深く掘り下げて伝えようとはしない。米国のシナリオ通りに「核開発計画」を既成事実として取り上げ、報道している。結果的には対イラク戦争で示されたような米国の単独行動主義に免罪符を与える役割を担っている。 核問題、年内に決着 今年は朝鮮戦争の停戦協定が結ばれてから半世紀、朝鮮では「戦勝50周年」を祝う年である。国内のメディアでは、戦争当時を回顧する特集なども組まれている。 「米国との対決は今年中に決着をつける」。経済問題の取材で会ったある政府関係者の言葉は、広範な社会世論を代弁している。 平壌の穏やかな風景の中に、最終決戦に向けた人々の強い意志を感じることがある。祖国を訪問したある同胞からこんなエピソードを聞いた。
3月に入ると大同江の表面を覆っていた氷も解け始める。川のほとりを散歩していた同胞が水遊びをする子供たちに「川に落ちるかもしれないから、やめなさい」と注意した。幼稚園児と見られる子供たちとの対話が始まった。 「ハラボジはどこからきたの」「日本だよ」「日本は悪い国だよ。おねえさんたちのチマチョゴリを切る奴がいるんだよ」 その同胞が「米国はもっと悪い国だろう」と訊ねると、まだ学校にも通っていない幼い子供たちが「『核問題』を口実に、ウリナラを侵略しようとする悪い国だ」と答えたという。 「米国は大きくて強い国だ。恐くないかい」「ウリナラがもっと強いよ」「何故、強いんだろう」 子供たちは少し考え込んだ。そして「あれだよ、あれ!」とチュチェ思想塔の方向を指差した。塔に隣接するアパートの屋上には「一心団結」のスローガンが掲げられていた。【平壌発=金志永記者】 [朝鮮新報 2003.3.29] |