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朝鮮歴史学学会、壬辰戦争の弾劾文を発表

 朝鮮歴史学学会は7日、壬辰戦争(壬辰倭乱、文禄・慶長の役=1592〜98年)時の日本の罪科に対する弾劾文を発表した。

 3体系からなっている弾劾文は、具体的な資料によって罪科を暴いている。

 まず、京都市の「耳塚」について次のように究明している。

 豊臣秀吉は、「人間の耳は2つあるが、鼻は1つであるから、朝鮮人の鼻を切り取って頭の代わりにせよ。兵士1人が鼻1升ずつで数量を満たしてから生け捕ることを許す」と鼻切り取り命令を下達した。

 日本侵略者は、野獣じみた方法で朝鮮人なら男女を問わず、赤ん坊まで皆殺しにし、鼻を切り取り塩漬けにして日本に送った。

 この戦争に参加した大河内秀元は図書「朝鮮物語」(巻下)で、「耳塚」に埋められた数が「21万4752」で、そのうち朝鮮人の数は「18万5738」であると明らかにした。

 もともと「鼻塚」という名称が余りにも残忍な印象を与えるということから、その後「耳塚」と呼ばれた。

 弾劾文は次に、戦争中、日本侵略者は10万人余の朝鮮人を連行し、もっとも多かったのは手工業者であり、続いて医師、印刷技術者、儒学者であると指摘。また、首都漢城(ソウル)を占領した後、宗廟に放火し宣陵、貞陵の両王陵を掘り起こして副葬品を略奪、棺まで燃やす蛮行を働いた、と強調した。

 そして、国宝の「高麗大蔵経」や書籍などを日本に持ちかえり、盗んだ国宝級の美術作品だけでも数十点に上ると明らかにした。(朝鮮通信)

[朝鮮新報 2003.5.16]