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〈月間平壌レポート〉 情報農業、田植え始まる

幸先よいスタート

 5月21日は二十四節気の一つ、小満。朝鮮半島ではこの日を前後して田植えが始まる。

 黄海南道載寧郡のサムジガン協同農場では15日に田植えが始まった。朝鮮では今年から、黄海南道の安岳、銀川、載寧、信川の4つの郡で「情報農業」を導入した。コンピューターが立てた営農工程に従って農業を行う。

 「今年はコンピューターのとおりにやってみようと思う」。40年の経験を持つサムジガン農場の管理委員長、ホ・ナムスクさん(62)はこう話す。同農場では、コンピューターの計算に沿って、苗の種蒔きを1週間遅らせたという。「おかげで長くも短くもない、適当な大きさの苗が育ちました」とホ委員長。

 農村では「田んぼの自慢をするより苗の自慢をしろ」と言われるほど、苗の出来が収穫の出来を左右する。苗がうまく育ったおかげで幸先よいスタートが切れたといえる。

 「情報農業」を導入したからと言って、農場員の経験を無視するわけではない。科学者が出した工程を現場の農民と相談し、実践的でないものは修正する。あくまで現場と合意した工程を採用している。

 「経験のある人ほど、私たちの計画を喜んで受け入れてくれる」と、農業科学院のリ・ヨング所長(37)は語る。

 朝鮮では南端の黄海南道から田植えが始まり、今は平安南道や平壌市にも及んでいる。平壌郊外の水田では、6月初旬まで田植えの光景が見られる。二毛作の前作で植えた麦、大麦が風にそよぐ姿は心地よい。この時期、一般の労働者や事務員、学生らも「農村支援」に出かける。

「最初から期待せず」

 小満を翌日に控えた20日から、平壌では北南経済協力推進委員会第5回会議が始まった。冒頭、南側代表の金光琳財政経済部次官は、「田植えがうまく行ってこそ1年の農業がうまく行くように、今回の会議でも田植えをうまく行い、良い結実をもたらせるようにしよう」とあいさつした。

 ところが、会談は初日から紛糾した。北側団長の朴昌蓮国家計画委員会第1副委員長の基本発言をめぐって、南側が「取り消し」や「謝罪」を求め、丸1日会談が開かれなかった。実質的に2日間遅れ、合意文が発表されたものの、日程はすべて漠然としたもの。何とも後味の悪い会談だった。

 朝鮮中央通信が報道した北側団長の基本発言は、盧武鉉大統領の訪米で発表された共同声明を非難したものだ。共同声明は「北の核問題」をめぐって、先制攻撃や制裁を念頭に置いた「追加的措置」や「核問題」と協力、交流を並行させることを明記しただけに、北側は「民族共助か外勢共助か」とただした。

 実際、この問題と関連して平壌の市民たちの間からは、「米国との間で、従属関係ではなく水平関係を樹立すると言った盧武鉉大統領が訪米時にどのような立場を表明するのか、関心を持って見ていたが、歴代政権と変わりないではないか」との声が聞かれた。

 とは言え、会議では6.15共同宣言履行の意思を再確認した合意が発表された。共同宣言発表3周年を控え、今後どのような動きが見られるのか、市民たちは見守っている。

焼きイモからアイスに

 相次いで行われた「韓米首脳会談」「日米首脳会談」では、「核問題」をめぐって朝鮮を一方的に非難する声明が発表された。緊迫した情勢は依然として続いている。

 しかし、平壌市内はいつもと変わらず平穏だ。市内の各所に見られる屋台は、焼イモ・焼き栗屋からアイスクリーム屋に衣替えした。

 小学生たちのキャンプ風景を取材するため訪れた石岩少年団野営所で、子どもたちがアイスキャンディーをご馳走してくれた。街中で女子学生や子どもたちがおいしそうになめているのを見て、一度食べたいと思っていたが、さっぱりしていて口当たりもいい。もち米と砂糖をまぜて沸騰させた後、凍らせるのだとか。キャンディー売りだけでなく、ジュースやお菓子を売る屋台には子どもたちが大勢群がっていた。

 子どもたちの笑顔に接しながらも、やはり緊張状態は続いているのだと感じる場面にも遭遇した。

 平壌市船橋区域にあるリュルコク中学校は音楽教育で有名な場所。テレビのアニメ主題歌はほとんどここの生徒たちが歌っている。朝鮮でも有名な旺載山軽音楽団にも団員を送り出している。プロ並の歌を披露してくれた女子生徒に話を聞くと、6年生のほとんどが卒業後の進路を軍隊に決めているという。「歌手の道に進まないの」との質問に、「歌手は軍隊服務が終わってからでもできます」と、「頭のいいたぬき」の主題歌を歌うキム・ソルヒャンさん(6年生)。

 載寧郡を取材した際にも、20歳前後の若い女性兵士に出会った。最近の風潮として、中学校卒業生たちの間で第一希望に軍隊志願を挙げる生徒が多いそうだ。中にはクラス全員が志願したケースもある。秀才が集まることで有名な金策工業総合大学の学生を取材した際にも、「いつでも部隊に復帰する準備はできている」と、除隊軍人出身のキム・ギョンチョルさん(31)が話していたのが印象的だった。

 「今の制度を守ることが自分たちの幸せにつながる」と言う彼らにとって、軍隊への志願は当然の結論のようだ。

 最近、「兵士よ語れ」という新曲が連日、テレビで流れている。朝鮮戦争に参戦した老兵の心情を歌ったもので、「いまだに永遠の平和は来ていない。この地に敵がいる限り、兵士として生きる」という歌詞でしめくくられる。

 「だからといって私たちが好戦者だと誤解しないでほしい」と青年組織のある幹部は言う。「私たちは平和を愛しています。ただ、われわれに手をかけた場合に備えているのです」(平壌発=文聖姫記者)

[朝鮮新報 2003.5.30]