〈6.15共同宣言を振り返る-2-〉 (第2項)連邦、連合制案で統一志向 |
「2.北と南は、国の統一のための、北側の低い段階の連邦制案と、南側の連合制案が、互いに共通性があると認定し、今後、この方向で統一を志向することにした」 北と南が統一の方式について合意したのは、6.15共同宣言が初めて。これまで統一方案に対する論議は、当局間ではまったく行われなかった。北と南が6.15共同宣言によって共通の統一設計図を持つことにより、統一は具体性と現実性を帯びるようになった。 共同宣言が発表された当時、南では連邦制と連合制がどう違うのかという議論が盛んだった。しかし、北南が互いの統一方案の共通性を認識し、「統一を志向する」と確認したのだから、これらの議論は無意味なものだと言える。重要なのは、連邦制であれ連合制であれ、統一を志向するということだ。 ちなみに、北の連邦制案とは、高麗民主連邦共和国創立方案を指す。 金日成主席が1980年10月に発表した同方案は、北南が相手の思想と制度を容認して双方が同等に参加する統一政府を組織し、そのもとで地域自治制を実施しようというもの。つまり1民族、1国家、2制度、2政府だ。 金日成主席は89年4月にも、南で長く統一運動を進めてきた文益煥牧師と会見し、地域政府が外交権、軍事統帥権を持つことも可能だとの認識を示し91年の新年の辞でそれを明確に表明したことがある。 一方南側の統一方案としては、金大中大統領が野党時代に発表した@北南連合段階A連邦段階B完全統一段階―を内容とする3段階統一論と、89年に盧泰愚大統領が発表した「韓民族共同体統一方案」があり、金大統領は「韓民族共同体統一方案」と3段階統一論とは同じだと述べている。 しかし、「韓民族共同体統一方案」は「自由民主主義体制による統一」、つまり北を南が吸収することを前提にしたものであったため、北はもとより南の各方面からも強い反発を受けた。 また1民族、2国家、2制度、2政府という3段階統一論は、91年の北南間の和解と不可侵および協力、交流に関する合意書に矛盾するものだ。 同合意書の前文には、「双方の関係が国と国との関係ではない、統一を志向する過程に暫定的に形成された特殊な関係」だということが明らかにされている。2国家は真っ向から否定されているのだ。 しかし、両首脳の対面を通じて発表された6.15共同宣言は、南側の連合制案が「統一を志向する」ものと位置付け、従来の「吸収統一案」でないことを明確にすると共に、北と南両案の違いよりも共通点に目を向け、手を取り合って統一に向かうという双方の意思を確認し合った。(李松鶴記者) [朝鮮新報 2003.6.6] |