〈月間平壌レポート〉 50余年も待った45分の行事 |
田植えを終えた農民たちがひと息入れる4日の「端午の日」(旧5月5日)。農村支援がならわしとなっている朝鮮では、農民だけでなくすべての人がこの日、ひと息入れる。この日、平壌市内の牡丹峰、大同江遊歩道などでは、メーデーの時と同様、家族や職場の仲間、友人らと集い、野外で食事を楽しむ人々の姿を多く見かけた。 感じる分断の重み そんな日から始まる6月は、朝鮮民族にとって忘れられない月である。3年前の6月15日、北南両首脳の歴史的出会いによって、「6.15北南共同宣言」が発表されたからだ。わが民族同士が互いに力を合わせて統一問題を自主的に解決することをうたった6.15共同宣言。この3年間、共同宣言を履行する過程で北南関係が大きく変化した事は、今さら言うまでもないだろう。 その変化を示す象徴的な出来事が、共同宣言発表3周年の前日にあった。北南の鉄道連結式が14日、東海線と西海線(京義線)の双方で行われた。 長い間風雨にさらされ、錆ついた軍事境界線の標識。その真横で行われた連結式は、分断の象徴である軍事境界線を民族の力で貫いていく全同胞の思いを示すものとなった。東海線の連結式には、北南双方50人ずつが参加。双方団長のあいさつの後、連結作業が行われた。その間約45分間。作業終了後、双方団長が握手を交わし、代表らは手を振りながら再び軍事境界線の双方向へと去っていった。 現場で取材した者にとっては、「こんなものかな」と、いささか拍子抜けするほど、式は坦々と進行した。しかし、だからこそ、これまでの分断の重みがひしひしと伝わってきた。この45分間のために、50余年という歳月を待たねばならなかった民族の悲哀。一方で、それをやり遂げたことで、統一がまた一つ近づいた感がある。頭の中では分かっていた「共同宣言の生活力」というものを、この目で実感できた。 共同宣言の生活力 朝鮮の人々は、この「共同宣言の生活力」をよく知っている。 だからこそ、情勢がいかに変化しようとも6.15共同宣言を履行していく意思を変えない。 5月に発表された「韓米共同声明」で、北の「核問題」と関連して「追加的措置」が明記されたことについて、朝鮮では盧武鉉政権に対する不信感を募らせた。その主張は一貫している。「外勢共助なのか、民族共助なのか」ということだ。 とは言え、盧政権との対話や交流を中断したりすることはない。 北南対話関係者にインタビューした際にも、「外勢共助に対してはたたかい続けるが、対話や協力、交流関係を中断させることはない」と明言していた。「中断すれば、共同宣言履行に期待を寄せる全民族を失望させること」になるからだ。 15日当日、平壌で行われた6.15共同宣言発表3周年記念民族統一大祝典でも、共同宣言を引き続き履行していくことが強調された。とともに、その基本精神である「わが民族同士」も、参加者全員が口にしていた。 23日には朝鮮中央テレビで、北南閣僚級会談北側団長、金゚星内閣責任参事ら関係者が出演して、共同宣言履行の意義を話し合う番組が放映された。番組では、この3年間に北南間で起きた変化について映像を交えて振り返った。その映像を見ながら、参加者らは共同宣言の意義についてそれぞれの見解を表明していた。 こうした番組を放映すること自体、共同宣言履行に対する意思を示すものといえる。 実際、今後、離散家族の再会事業(金剛山)、開城工業地区着工式が控えていることを見ても、それは明らかだ。 情勢は緊張している。それでも、統一へと一歩一歩近づいていることだけは確かだ。【平壌発=文聖姫記者】 [朝鮮新報 2003.6.30] |