植民地時代、日本が朝鮮半島に作ったハンセン病療養所、全羅南道小鹿島病院を訪ねて(下) |
火葬の恨み 小鹿島病院に着いた翌日の早朝に、万霊塔(納骨堂)を訪ねた。長島愛生園にある納骨堂を模倣して建てたもので、高さ15メートル、周囲20メートルの円形型をしている。患者が亡くなると、当時の朝鮮の風習では受け入れがたい死体の解剖と火葬が行われ、遺骨はここに安置される。碑には、家族と再び会うことのできない悲しみや、火葬されることに対する恨みが刻まれていた。 「小鹿島へ行く道は納骨堂へ通じる」と言われ、まさに恐怖の万霊塔であった。現在、恨を残したまま亡くなられたであろう方々の遺骨が1万柱以上納められている。 日本では、2001年5月、強制隔離等の人権侵害に対する日本の謝罪と賠償を求めて、ハンセン病元患者たちが熊本地方裁判所で提訴した裁判に原告側が勝訴し、その後、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」(以下、ハンセン病補償法)が成立。日本国内のハンセン病療養所に収容された経験のある人を対象に補償がなされることになった。しかし、日本国内の療養所に限ったために、同様の、あるいはそれ以上の人権侵害を受けた朝鮮をはじめ日本国外の療養所に収容された人たちは補償から排除されたままである。 謝罪行われず 今回の訪問の目的のひとつであるチャムギル会の創立20周年記念シンポジウムで、徳田靖之弁護士(ハンセン病国賠訴訟西日本訴訟の弁護団代表)は、「日本は植民地時代に小鹿島で残虐で非道な行為を重ねてきたが、謝罪も行われていないことをおわびする」とした上で、「日本のハンセン病補償法に基づき、植民地時代に収容された元患者の補償請求を行いたい。請求が却下された場合に、訴訟を起こし、補償法が法の下の平等をうたった憲法に違反することを追及して、併せて、小鹿島で行われた事実を明らかにしていきたい」と提案した。 これに対し、小鹿島病院院生自治会の姜大市会長は、「現在、小鹿島の院生のうち、115人が日帝下の入所経験がある。今後、情報交換など協力しながら進めていきたい」という姿勢を示した。 植民地朝鮮で日帝が行ったハンセン病患者に対する強制隔離、強制労働、断種等の犯罪的な行為に対して日本政府はなんらの謝罪も賠償も行っていない。もし訴訟がおこされれば、植民地朝鮮でのこれらの行為が初めて裁判を通して明らかにされ、日本の責任が問われることになるだろう。非常に意義深いことである。 恨解く過程に ただ気に掛かることもある。この訴訟では解放後に韓国政府によって続けられた隔離政策や断種などの人権侵害を問えないために、韓国のハンセン病歴者の中で、補償の対象になるものとならないものが生まれる結果になる。 そのために裁判の過程で療養所内外でさまざまなあつれきがおこる可能性がある。そして、訴訟に勝った場合、名誉回復や偏見の除去には一定の効果があるものの、補償法対象者だけが補償金を受け取り、対象外の人は取り残されることになりかねないということである。当事者の方々の声に耳を傾け、当事者の方々への情報提供を十分にする必要があろう。 訴訟ということになれば日本国内の支援や運動が重要になる。いずれにしろ、現在生存しておられる方々の生活が精神的にも社会的にもより豊かなものになるような、そして、亡くなられた方々も含め恨が解かれるような過程にしていかなければならない。(四国学院大学教員、在日同胞福祉連絡会副代表) ※主要参考文献 滝尾英二『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島』(未來社、2001年) 沈田黄著、山口進一郎訳『小鹿島の半世紀』(http: //www.eonet.ne.jp/~yokati/syourokuto.htm) ハンセン病と人権を考える会編『知っていますか?ハンセン病と人権 一問一答』(解放出版社、1997年)(金永子、四国学院大学教員、在日同胞福祉連絡会副代表) [朝鮮新報 2003.9.24] |