〈浮島丸事件平壌討論会〉 洪善玉委員長の基調報告 |
浮島丸事件の真相究明のための平壌討論会(9月29日)で行った、洪善玉朝鮮の日本軍「慰安婦」、強制連行被害者補償対策委員会委員長の基調報告要旨を紹介する。 今回の討論会は半世紀以上も歴史の闇に埋もれている浮島丸事件の真相を正しく究明し、日本から過去の罪過に対する謝罪と補償を受け取るための全民族的な活動を積極的に促す有意義な契機になる。 さる20世紀初、膨大な武力でわが国を不法に占領した日帝侵略者は40余年間、前代未聞の暴悪非道な軍事的統治を実施した。日帝は朝鮮人民を「日本人化」して自分らの永遠な植民地奴隷につくることを朝鮮統治の「根本方針」として軍事的占領統治の全期間、朝鮮民族抹殺政策を追求した。 朝鮮民族を地球上から永遠に抹殺しようと血眼になっていた日帝は、日中戦争の勃発後から敗北するまで840万余人に達する朝鮮人を拉致、強制連行し、100余万人を虐殺し、20万人の朝鮮の女性を「皇軍」の性のなぶりものにした。 浮島丸に乗って無念の死を遂げた数千人の朝鮮人も、まさに日帝のこうした野蛮な朝鮮民族抹殺政策の残酷な犠牲者であった。 1945年8月22日夜10時、強制労働に虐げられていた朝鮮人を乗せて釜山に行くと出航した浮島丸は、日本の海岸線に沿って南下していたが、8月24日午後5時20分頃、京都府舞鶴港の入り口の海岸線からおよそ300メートル離れた水深16メートルほどの場所で急に3〜4回の爆発音とともにまっぷたつに折れ沈没してしまった。 これにより、浮島丸に乗っていた数千人の朝鮮人が一瞬にして水葬され、乗船者の一部だけが九死に一生を得た。 この事件は、浮島丸に「釜山行き」の命令が下されてから最後の処理に至るまでの全過程の数え切れない不一致と疑惑、被害生存者の証言とこれまで調査、発掘された資料によって、決して機雷による偶発的な事故ではなく、日本軍部当局の計画的で意図的な操作によって強行された爆沈事件であることが立証されている。 5つの根拠 その根拠は、@浮島丸の大湊出港が日本政府の許可と指示によって行われたということである。 日本防衛庁戦争史資料室では、1945年8月19日に海軍省運輸本部が大湊海軍警備部参謀長あてに送った電報が発見された。 この電報は、大湊海軍警備部が送った第181439号電報に対する答電として浮島丸の運航を許可するという内容が明記されている。 A浮島丸の朝鮮人乗船と船の出港が日本軍部当局によって強制的になされたということである。 当時、大湊海軍警備部は下北半島地域にいる朝鮮人に浮島丸が釜山に行くことになっているが、朝鮮に行く船はこれだけであるとし、浮島丸に乗るよう人々を懐柔、強迫した。 B浮島丸は、当初から釜山港ではなく、舞鶴港に向かって発ったということである。 浮島丸の元乗組員の証言によると、この船は出港時に少量の燃料をもって出航したが、これは浮島丸に当初から釜山港まで航行する計画がなかったということを物語っている。 C舞鶴港に入る航路は、機雷解除済みの安全航路であったということである。 浮島丸は、入港前に舞鶴警備隊の信号所から掃海完了の信号を受けてから港に入った。 また、浮島丸が舞鶴港に入港する数分前に2隻の警備艦が同じ航路を通って無事に入った。 さらに、その日は8月24日であったので連合軍の船舶航行禁止要求により多くの船が舞鶴港に入港した。 このように多くの船舶が通り過ぎても爆発しなかった機雷が、それも一番最後に入った浮島丸に限って反応したということは常識的にもあり得ないことである。 D機雷による爆発であるなら、爆発とともに必ず伴うべき現象が起こらなかったということである。 そのような現象としてまず、機雷爆発なら必ず数十メートルの巨大な水柱が起こる。 しかし、浮島丸に乗っていた被害生存者たちは一致してこの船が爆発するときにはそのような水柱がまったくなかったと証言している。 また被害者たちは、浮島丸の爆発当時、3〜4回の連続的な爆発音を聞いたと証言している。 機雷は1回しか爆発しないのが通例であるが、連続爆発したということはこれが機雷ではないことを物語っている。 諸般の事実は、浮島丸が事前に綿密に立てられていた爆破計画に基づき、船内に設置した爆発物によって爆沈されたということを示している。 被害を縮小報道 では、日本反動層が戦争で敗北した後であったにもかかわらず、なぜ手間をかけて浮島丸の「釜山行き」という芝居を企み、このような爆破事件をつくり上げたのだろうか。 日帝は何よりも、「大東亜共栄圏」の野望を実現できず、敗北の苦杯をなめることになった腹いせと仕返しを数千人の朝鮮人を殺害することでしようとしたのである。 日本政府は、戦後半世紀が過ぎても浮島丸事件に対する自分らの責任を頑強に否定しながら一貫して機雷による爆沈であると主張し、事件に対する初歩的な調査も行わなかった。 それはまず、日本当局が事件の直後、事件の経緯や死亡者に対する具体的な了解もなしに急いで事件を処理してしまったことに現れている。 浮島丸の艦長は、事故が起きた翌日、しっかりした調査も行わず、海軍省に機雷による沈没であると報告した。 日本当局は、浮島丸事件の犠牲者確認活動をきわめて形式的に行い、被害規模もきわめて縮小して発表した。 日本当局は、乗船者数を当時作成されたという乗船者リストに従って3735人であると発表した。 ところが、被害生存者たちは当時の乗船者数を7000〜8000人あるいは1万3000人ほどであると証言している。 しかし、日本政府は浮島丸引き揚げ作業が終わった後、2回にわたって発掘された遺骨と、当時、平海兵団の敷地内に埋めた後に整理した遺骨の数が総じて524であると発表した。 ところがさらに疑わしいのは、日本当局がこの524人という数字まで半分に縮小して世論化したということである。 日本当局は、浮島丸事件について米軍政当局に報告しながら死亡者を260人に大幅縮小し、この数字を新聞を通じて大々的に報じるようにした。 謝罪、補償を これは、日本当局が浮島丸事件に深く関与し、事件の全責任が日本当局にあるということを示すもうひとつの証拠であると言える。 日本は、戦争法規と国際人道法の原則によって旧日本国の過去の罪に対する法的、道義的責任を認め、徹底的に謝罪し、補償する国際法的義務を負っている。 しかし、日本政府の態度は第2次世界大戦の時期、ファシズムドイツが働いた犯罪に対して積極的な補償措置を取り、実践しているドイツ政府とはあまりにも相反する対照をなしている。 日本の行為は、人間の初歩的な道徳と良心、国家としての体面も道理もわきまえない破廉恥な行為である。 これまで多くの関連団体と進歩的人士の真しな努力と被害生存者の証言によって浮島丸事件の多くの側面が明らかにされ、事件の全ぼうを解明することのできる土台が築かれた。 われわれは、浮島丸事件の解決をあくまで追究し、このため日本政府に次のように強く要求する。 @事件の全ぼうを徹底的に調査、究明し、事実をそのまま公開すべきであるA事件に対する国家的責任を認め、被害者と遺族に国家の名義で謝罪、補償すべきであるB事件に関与したすべての犯行者を探し出して責任の所在に従って処罰すべきであるC事件当時に犠牲になった被害者の遺骸を全部探して身元を確め、安全に送還する実質的な対策を講じるべきである。 こうした要求事項を貫徹するためには北、南、海外の団体、人士と被害者、遺族が力と知恵をひとつに合わせて連帯闘争を力強く展開していくことが重要である。 これまでは、この事件の真相を調査、究明し、日本政府に謝罪と賠償を要求する活動が分散的に行われてきたとすれば、今後は北、南、海外の団体、人士と被害者、遺族が互いに連帯、協力してより現実的で効果的な方法で運動を繰り広げるべきであろう。 特に、国連人権委員会をはじめ国際機構に対する提訴などを通じて浮島丸事件をはじめ日本の反人倫的な過去の犯罪を国際社会に広く知らせ、国際世論を喚起する活動を積極的に行っていくことが重要である。 朝鮮に対する日本の植民地支配が終わってから半世紀がはるかに過ぎたが、被害者の苦痛は今なお続いている。 日本が犯罪的な過去を清算しない限り、被害者とその遺族の苦痛は永遠に続くであろう。 われわれは、朝鮮民族の尊厳をかけて日本の過去の清算を受け取る運動を積極的に繰り広げて被害者の苦痛をいやし、朝鮮人民の積もりに積もった恨みを必ず晴らすべきであろう。(朝鮮通信) [朝鮮新報 2003.10.4] |