top_rogo.gif (16396 bytes)

〈北南交流の現場を取材して〉 確実に縮まる「距離」

 6月中旬から10月中旬まで4カ月間、平壌に常駐しながら、金剛山での第8回離散家族対面、平壌での柳京鄭周永体育館開館セレモニー、ソウルでの第11回閣僚級会談、大邱ユニバーシアードなどを撮影、取材した。その過程を通じて今回、北と南が今まさに統一に向けて力強く前進していることを肌で感じ取った。

必ずまた会える

笑みを浮かべ再開を約束する離散家族(第8回対面)

 10月、離散家族対面の現場で、参加者たちが妙に落ち着きはらっていることに気づいた。6.15共同宣言発表後、00年8月の第1回対面から4度にわたり取材をしたが、興奮状態に落ち入り涙なみだの洪水だった1回目とは対照的な光景だった。

 半世紀ぶりの再会という状況は同じだが、3年足らずの間に大きく前進した北南関係の現状と無関係ではないように思われた。

 離れ離れだったそれまでの歳月に比べれば対面はつかの間。しかし、時間の長さ短さよりもこれが最後ではなく、遠からず必ずまた会えるという希望を持てたことが大きな要因となっていたようだ。実際、どの家族たちも別れ際には笑顔で、「また会おう」と固く約束し合っていた。

2重、3重の「包囲」

統一旗を手に北の選手団を熱烈歓迎する母親と娘(大邱ユニバーシアード)

 8月の大邱ユニバーシアード、熱烈に迎えてくれた南の市民の姿が今も忘れられない。

 北側代表団が大邱に到着した日はあいにくの雨。だが、市民らは「歓迎」と書かれた横断幕を手に、「パンガプスムニダ(お会いできて嬉しい)」と大声で迎えてくれた。その光景に、北側代表らの目にはうっすらと涙がにじんでいた。

 市民らの熱烈歓迎ぶりには、本当にびっくりさせられた。取材の先々で北から来た記者だとわかると、すぐさま2重、3重に「包囲」され、サイン攻めにあった。1度に、「統一祈願」という文字を色紙におそらく平均30枚位は書いたと思う。逆に取材ができなくて心の中で悲鳴を上げていたが、分断されていた同族に会えたことに対する喜び、統一への切実な思いが伝わり、うれししくもあった。

 もう一つ、忘れられないのが南朝鮮対日本のバレーボール競技だ。前半は完全に日本のペースだったが、後半、北と南が一緒になった応援が試合の流れをがらりと変えた。

 「バレーボールは雰囲気のスポーツ」だと言われるが、北と南がひとつになった応援によって南チームは水を得た魚のように動きが良くなり、ペースを握って逆転勝利を収めた。「共同応援の結果だ」と、選手はむろん会場のみなが手を取り合って喜んだ。

日常茶飯事の光景

着工発破のスイッチを入れる関係者(開城工業地区)

 10月上旬、柳京鄭周永体育館開館セレモニーに参加する南側代表団1100人が平壌入りした。撮影しながら記者はその数の多さにびっくりしたが、平壌市民たちは意外にも冷静な表情だった。

 市民からすれば、南から100人規模の代表団が平壌を訪れるのは定期的、日常茶飯事の光景であって、驚くに値しないということのようだ。

 日一日と進み深まる北と南の交流。それは確実に長い分断の時間を消し去り壁を崩し、北と南の距離を縮めつつあるということを4カ月の取材で感じたことだ。(写真と文、姜鐘錫記者)

[朝鮮新報 2003.11.10]