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〈済州島4.3事件〉 南当局が公式謝罪

 米軍政下の南朝鮮単独選挙に反対し1948年、済州島民が武装蜂起した4.3事件では、米軍の指揮の下、軍警、反共青年団などによる討伐作戦で、集団虐殺(ジェノサイド)が行われ、3万人とも8万人ともいわれる無実の島民の命が奪われた。

 この事件について盧武鉉大統領は10月31日、「過去の国家権力の過ちに対し、大統領として遺族と島民に心から謝罪し慰労の気持ちを捧げます」と述べ、事件から55年ぶりに初めて公式謝罪した。

 作家金石範氏は4.3事件について「米軍と李承晩政権の討伐作戦は凄惨を極めたもので、第2次世界大戦直後の世界に類例のない、しかも戦争地域でない平和な島での大虐殺だった」と指摘する。さらに近年の研究によると、武装隊の家族や無関係の女性たちも討伐隊の拷問、暴行、虐殺の被害者となったことが明らかになっている。

 4.3事件は南の独裁政権によって実に半世紀も歴史から抹殺されてきた。彼らは「左翼反乱への正当な公権力行使」と規定、また、南の歴史教科書には「共産主義者たちが選挙を混乱させるため起こした武装暴動」と記述するなど歪曲、タブー視されてきた。しかし、歴代政権の弾圧政策をくぐり抜けて、民衆の間で真相究明の血のにじむ努力が続けられてきた。そして、80年代後半の民主化闘争の広がりで、真相追究は画期的な前進を見た。

 一方、日本の研究者の中にも4.3事件を東アジアの地域や同時代という連関の中で起きた深い闇ととらえようとする動きも広がりつつある。98年に開かれた「済州島4.3事件」国際シンポに出席した大阪外大藤目ゆき助教授は、こう指摘する。

 「4.3事件は朝鮮戦争へとつながっていく。米国の冷戦政策は朝鮮民衆の自主的統一国家建設の念願を踏み躙り、民族分断を固定化させるとともに同時代の東アジア諸地域の運命を暗転させていった。朝鮮戦争時の対米協力を通して日本は米国の世界戦略に固く結びつき、米国との同盟を国家の土台として歩んできた。朝鮮戦争が戦後日本の進路を決定づけた戦争であったにもかかわらず、今日まで戦争の実態が日本国民にほとんど伝えられていない最大の根拠はそこにある」

 また、「朝鮮戦争の起源」などの著書を持つ、シカゴ大学ブルース・カミングス教授は「済州島反乱鎮圧に対するアメリカの責任問題」と題する講演(98年3月、東京)で米国の虐殺責任について明確に語った。

 「…1945年から1953年に起こった事件に関してアメリカ政府より賠償を勝ち取る韓国人がいるとすれば、疑いなく済州島の人々がまず最初にこの賠償を受け取るべきです。

 戦後世界がはじめて目撃したものは、この忘れられないほど美しい島において、民族自決と社会正義のためにたたかっている島民に対するアメリカの無差別の暴力だったのです」

 大虐殺を隠ぺいし、放置してきた米と南の圧制者たち。歴史を忘却し、記憶をも抹消し、闇から闇へと葬ろうとした半世紀。人々はついに、南の大統領の公式謝罪を勝ち取ったのである。

 これについて、労働新聞10月23日付は「4.3事件に関する『政府報告書』に事件の張本人である米帝侵略軍の罪悪についてまったく言及されなかったのは、米国の黒い触手が動いたとしかほかに考えられない」と批判した。次は当然、4.3事件での米軍の戦争犯罪の追及に焦点が絞られていくだろう。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2003.11.17]