駐韓米軍の蛮行暴露した全民特委共同白書(6)を発表 |
米軍虐殺蛮行真相究明全民族特別調査委員会(全民特委)は21日、南朝鮮駐屯米軍の蛮行のうち、1960年と1961年の2年間の資料を再調査、掌握した一部をまとめて共同白書(6)を発表した。 共同白書によると、南朝鮮人民に対する米軍の殺人暴行蛮行は1960年代に入っていっそう野蛮かつ猟奇的な方法で強行された。 1960年2月12日の夜から13日まで、米第44工兵部隊B中隊所属のウィリアム・J・リーら7人は釜山市中央洞に住むコン・ジンス氏他6人を不当に逮捕して部隊に引き連れて全裸にしてから深いくぼみに追い込んでこん棒で殴りつけ、腕時計など1万2000ウォン相当の金と服、その他の物品を残らず奪い取り、裸のまま部隊の外へ追い出す蛮行を働いた。これが「世界日報」(1960.2.24)に発表されて、当時、南朝鮮人民の怒りを爆発させた「倭館リンチ事件」である。 また、その年の4月だけでも20日には米第7師団第40戦車部隊所属の上士ハマン・J・ロックウェルが、25日には米第4誘導弾司令部第19歩兵大隊C中隊1等兵のロバート・L・ハムエルが、29日には米第1機甲師団第8機甲連隊B中隊中士のエドワド・J・ノブルが歩行中の人々を暇つぶしに撃ち殺し、重傷を負わせた蛮行など無数にある。 5月15日の午後10時頃、米第9機甲連隊第1捜索大隊C中隊所属の2等兵ジョンは、坡州郡広灘面方丑里に住むリ・ジョンフン氏に証明書を見せよと命じ、朝鮮語で書かれているからと言ってその場で撃ち殺すなど、米軍はもっとも悪らつな殺人者、略奪者、破壊者としての本性を示した。 1961年2月7日、米帝侵略軍空軍将校他3人は金浦空港に取材で訪れた記者キム・グンテク氏のカメラを不当な理由をつけて奪い、カービン銃で威嚇しておよそ1時間半の間、殴打して重態に陥れる一方、彼の服までずたずたに引き裂いた。 2月13日、1等兵のケンレン・ドナルドが忠清南道瑞山郡泰安面朔善里の路上をトラックで暴走させて自転車に乗っていたペ・スヒョン氏(24歳)をひき殺し、釜山では命令に従わないからと言って労働者をクレーンに逆さまにつるしたまま水中に入れ、京畿道平沢ではクレーン車で歩行中の住民6人をひき殺した。 米帝侵略軍のこうした身の毛もよだつ殺人鬼の本性は5月27日、米第581通信中隊所属の1等兵ジョージ・E・ウェンゼリングが車を暴走させて道ばたで遊んでいたオ・スニちゃん(5歳)を白昼にひき殺し、6月5日、米第44工兵隊所属の米軍運転手が慶尚北道漆谷郡倭館邑三清洞の道路周辺で遊んでいたチ・ヨンジュンちゃん(6歳)をひき殺した事実からも如実に表れた。 世に広く知られた「東豆川女性削髪事件」(1960年1月2日)は、米軍が南朝鮮の女性を獣欲を満たすための享楽の対象と見なし、老少を問わず手当たり次第に強かん、輪かんしたことを示す代表的実例である。 南朝鮮人民の財産と財物を略奪、破壊するにあっても米軍は、侵略者としての本性をさらけ出した。 朝鮮民族は、米帝侵略軍が南朝鮮で犯した罪過に対する代価を必ず払わせ、百倍、千倍に報復するだろうと共同白書は指摘した。(朝鮮通信) [朝鮮新報 2003.11.27] |