〈回顧 ’03朝鮮半島-上-〉 米国の攻勢砕いた「軍重視路線」 |
核問題をめぐる対立の激化と戦争の危機、そして多国間の枠組みによる交渉へ。2003年、朝鮮をとりまく情勢は大きく動いた。 「超強攻策」の決断 昨年10月、大統領特使の平壌訪問を機に米国は朝鮮に対して「核放棄」という名の圧力攻勢を展開した。今年は朝鮮の対抗策である核拡散防止条約(NPT)脱退宣言(1月10日)で幕を開けた。
国際社会では朝鮮の態度を改めさせることが、「核危機」解消の唯一の方法という米国の主張に世論が追随した。主要先進国は朝鮮に一方的譲歩を迫る米国の強硬策を支持した。しかし1年が経過した現在、米国は6者会談の場で朝鮮に対する「安全保障」を提示しなければならない立場に置かれている。 それは明らかに形勢の逆転であり、米国の圧力攻勢が破綻したことを意味する。「強硬策には超強硬策で対抗する」というのが朝鮮の一貫した対米姿勢であり、朝鮮人民軍最高司令官である金正日総書記の意志であった。今年、朝鮮半島情勢を好転させるうえで朝鮮のリーダーシップは決定的な役割を果したといえるだろう。例えば、NPT脱退宣言は朝鮮外務省でも限られた上層部しか詳細を知らされていなかった。宣言発表後、ある外務省関係者は「総書記の知略と決断を確認できた。心強い」と語った。 朝鮮半島における「核危機」は政治外交的対立であると同時に軍事的対立であった。米国は朝鮮の核施設に対するピンポイント攻撃など、すべてのオプションを検討できたはずだ。朝鮮の「超強硬策」は相応の軍事力を持たなければ不可能であったろう。 総書記は90年代に「軍重視路線」を打ち出し軍事部門の強化を国策として推し進めてきた。今年、労働新聞など国内メディアが伝えた総書記の活動に関する報道は81件(12月20日現在)、そのうち55件は軍部隊視察に関するものであった。 「核抑止力」の強化 国内メディアは今年2月中旬から4月上旬までの間、総書記の活動を伝えていない。米国がイラク戦争の準備を進めた時期にあたる。朝鮮は中東における状況を綿密に分析したに違いない。総書記は、この時期にある重要な決断を下した。3月上旬、朝鮮は米国など関係国に国内の核施設で核燃料棒の再処理に着手したと通告した。核の平和利用から軍事利用への政策転換の意志を示したのである。 朝鮮のNPT脱退宣言後、米国はぼう大な兵力を朝鮮半島とその周辺に緊急移動させ、先制攻撃を基本(ブッシュドクトリン)とする軍事作戦計画を練っていた。朝鮮と同様に米国によって「悪の枢軸」と名指しされたイラクは「国連査察」で武装解除状態に追い込まれたあと、軍事攻撃を受けた。力による威嚇には力で対抗しなければならないというのが、現実から導き出された結論であった。 核の超大国、米国の圧力攻勢に対抗して朝鮮が「核抑止力」強化を選択したことは、米国にとって予想外の「超強硬策」であったに違いない。核問題をめぐる状況は一変した。中国が特使を派遣、米国は態度を軟化させ対話と交渉の枠組みができた。う余曲折はあったが、4月の3者会談、8月の6者会談と流れは続いた。 歴史的和解へ 総書記は外交分野のスタッフに対して大国を相手にする時は自分も大国として振る舞わなければならないと指示を与えているという。核問題をめぐる米国の攻防戦ではリーダーが率先し、それを実践した。 強力で確固たるリーダーシップは、国内世論の支持が前提になる。建国55周年を迎えた今年は人民の結束が一段と強化された年でもあった。 建国記念日(9月9日)を前に開かれた最高人民会議第11期第1回会議は、総書記を国防委員会委員長に推戴した。会議に参加資格のある代議員の約半数は今年の選挙で初選出された新人で、世代交代が進んだ。国内では一連の経済改革が浸透し、国家経済の立て直しのための取り組みが本格化した。「次の時代」を見据える国内の人々にとって核問題をめぐる米国との対決は、新たな飛躍と発展に向けた「最後の攻防戦」として位置付けられていた。 国際世論も国連も米国のイラク攻撃を防ぐことはできなかった。一方、朝鮮半島では「核危機」が叫ばれたにもかかわらず、戦争勃発は回避され、平穏が保たれた。 攻防戦の最終的な決着は来年以降になるだろうが、国内の人々はすでに自信を深めている。「核抑止力」強化で米国の攻勢を砕いた朝鮮は現在、核凍結に対応して米国が政策変更を示す具体的行動を起こすことを強く求めている。その次のステップは朝米国交正常化である。 2003年、リーダーが選択した「超強硬策」は歴史的和解のカードを切る状況を作り出した。(金志永記者) [朝鮮新報 2003.12.20] |