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屈さざる生き方に共感−「ふるさとの丘と川 大原富枝年譜」

 本書は毎日出版文化賞・野間文芸賞などを受賞した作家・大原富枝さんの「年譜」である。大原さんの代表作「婉という女」などの舞台は作家自身の故郷・高知県長岡郡本山町でもある。2000年1月、87歳で亡くなった作家が愛してやまなかった山々や吉野川の清らかな風景が表紙に刷り込まれている。

 大原さんの口癖は「とにかく書きたいものだけを書く」。そして「立身出世する女は書けません。弱者である女がその運命を受け入れて強く生きる姿に引かれます」と語っていた。一貫して大原さんが凝視し続けたのは、強圧を受けながら決して折れることなく耐え抜き生き抜く女の生だった。

 敗戦前、空襲が酷くなって、誰もが東京から地方へと疎開して行く中で「創作に専念しようと、故郷を捨てて上京した」のは、そんな訳があったからだ。恋人だった男性は戦死。その後苦しい道を通り抜けて生の意味を、時代の運命を見つめながら小説を書きためた。名作「婉という女」が世に出た時は47歳になっていた。この小説は、土佐藩の宰相野中兼山の死後、反逆者の一族として獄に囚われ、女として生きることなく40年を無為に過ごした兼山の子、婉の半生を描いたもの。

 婉の生涯は、また大原さんの生にも重なる。大原さんは後に「この作品を書くことで、私もいわば40数年の女の生命を生き直したのである」(「私の取材ノート」)と書いている。

 作家の虐げられている者への熱い共感は、文学作品の中だけにとどまらない。大原さんは、政治犯として「韓国」で捕らえられた徐勝、俊植さん兄弟の支援運動もずうっと続けてきた。「新宿で二千枚のビラを配ったこともありましたよ。ご兄弟も偉いけど、お母様は本当に偉かったですね」と述懐していた。長い救援運動の中で1人、また1人といつの間にかやめていく人もいたが、最後までやり通した。本書の年譜の中にも、救援活動への協力が明記されている。

 現実政治の中で無力な女たち。無力であるばかりか、多大な犠牲をも強いられる。弱者である女は運命に翻弄されるが、しぶとく、生き長らえていく。大原さんは常に、男たちに作られ、崩されてゆく歴史を直視していた。そこから見つめたのは「絶望の底を浚って得たような非常なまでの女の強さ」だったのである。「大原富枝年譜」を通して、一人の女性作家の毅然とした一生が脳裏に焼きつけられるのだ。(粉)

[朝鮮新報 2003.1.21]