朝鮮の食を科学する〈13〉−「貧者の餅」から人気メニューに |
日本のお好み焼き風 焼肉、キムチ、冷麺などに続いてチヂミという食べものが人気になっている。冷凍食品にまでなって商品化されている。日本のお好み焼きに似ているところから、身近に感じるのもなじみやすい要素だろう。 さてこの料理名のチヂミという語を正確に知ってもらわなくてはならない。 チヂミとは、チヂダという調理法の動詞が名詞化したものである。そしてチヂダという調理方法は2通りに使われている。 まず一般には「チゲ料理とチョリム料理の中間に位置するもので、チゲよりも水分が少なく、チョリムよりは汁気を多くした料理で、乾魚、魚介類に用い、ときには煎にしたものに汁を少し加えて、チヂム料理にすることがある」(「韓国飲食用語」尹瑞石著、民音社 1991年)。 例えば、魚のカレイのチヂミでは、コチュジャンを水に溶いて沸かし、カレイを入れネギ、ニンニク、粉トウガラシをのせて煮つけたもの。これが魚の「チヂミ」なのである。 在日の1世の方たちの会話で、魚をチヂして食べよう(고기를 지지먹자)というときの、「チヂ」というのは、この意味である。 また「穀類の粉を水で溶いて油で押さえつけるよう煮つけた飲食がチヂミである。チヂミは油で押さえた餅という意味で糯煎餅、小麦煎餅、きび煎餅など、煎餅とも呼ばれる。チヂミの材料は緑豆、小麦、とうもろこし、きび、そば、じゃがいも、えんどう豆などで、副材料に、白菜キムチ、豚肉、ネギ、ニンニク、粉トウガラシ」を用いる(「朝鮮飲食」勤労団体出版社、1985年)。 いま私たちの身近でチヂミと呼ばれているタイプのものは、これであろう。 しかし、ここで強調したいのは「チヂミ」という料理は、意味の幅が広いということである。魚介類の煮つけ法と同じく煎餅を水で煮つけていたことから、共に「チヂミ」と呼び慣わされるようになったとみられている。 各種の粉を用いたチヂミの中でもっとも味の良いとされるのは、緑豆チヂミである。緑豆を水に浸し、石臼で粗挽きしたものを油で焼き上げたものの味は最高である。 こうしたつくり方のものを別名「ピンデトッ」と呼んでいる。このピンデトッと呼ばれるのにはいきさつがある。 世界の女性にも大好評 もともと緑豆粉を平べったく焼いたものは、冠婚葬祭時などの床(膳)にしつらえる串焼きの肉料理を、高く盛りつけるための台の役割をするものだった。肉料理からしみ出る脂を吸収させるのに緑豆粉が合ったからだとされる。こうした冠婚葬祭を豪華にできる人は限られた富裕層の人たちである。彼らは行事を終えると、緑豆粉の台を食べる対象とはしないが、捨てるには惜しいので、市中の貧しい人に分け与えたのである。このことが習慣化して金持ちたちの冠婚葬祭のあとに、この緑豆粉の台が配られる風景がソウルでみられるようになっていく。 朝鮮王朝時代、飢饉のときなどは冠婚葬祭に関係なく、緑豆粉を平べったく焼いて貧しい人たちに施すために「貧子の餅」を車に積んで、貧子を救う金持ちたちがいたという。 このことからこの食べものを「貧子の餅」と呼ぶようになっていく。 やがて串焼きの盛りつけ台としてではなく18世紀頃からは独立した食べものになるに及んで、緑豆粉のみでなく、各種の具材が加わり、呼称もピンデトッ、緑豆煎餅、緑豆チヂミへと変わるのである。 いまポピュラーな呼称になっているピンデトッには、どんな意味があるのだろうか。一般に「ピンデ」という語は南京虫のことを指す。いまどきこの虫のことを知っていらっしゃる方は少ないだろう。人の血を吸う害虫である。この南京虫のはいつくばっている格好が、ちょうど緑豆餅の形と似ていることと、ピンデと貧子の語呂が合うことから、この名称がいつの間にか一般化してしまったようである。 盛りつけ用の飾り台から、貧子に施される食べものへ、さらに庶民の知恵が加わって大衆の料理へと変遷した。このメニューは上品でおいしいと人気があり、韓国の観光公社の調査では、海外観光客の三大嗜好料理はキムチ、焼肉、ピンデトッだった(92年)。外国女性を対象にした選好度ではトップである。 ピンデトッのように油をひいた上で焼くメニューはほかにも多い。 煎料理がそうで、煎油花とも呼ばれる。魚肉、野菜類をうすく切り、小麦粉、卵黄の衣を着せる。焼き上がりはうす黄色のきれいな色である。衣は具材の持つ味を逃がさないためなのだが、この料理法を崩してしまっているのが多い。とくにネギ、ニラなどを小麦粉で溶いたものと混ぜ合わせて、そのまま油で焼いてしまう方法である。小麦粉が衣の役割を十分に果たせない。このメニューをチヂミとも呼び、地域によってはプチゲ、プチミとも呼んでいる。それがいま日本でチヂミとして受けとめられているのが実情である。 このメニューの価値は、乾類の粉、魚肉、野菜類、それを油で調理したバランスのとれたところにある。(鄭大聲、滋賀県立大学教授) [朝鮮新報 2003.2.7] |