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歴史の一部書き換える「発見」−朝鮮最古の地図を前にして

最近発見された朝鮮最古の地図「成州邑図録」 [朝鮮中央通信=朝鮮通信]

 最近、古地図と地理志が発見された。1つは「成州邑図録」、もう1つは「成川志」(1640年刊)である。「成州邑図録」は長さが33センチ、幅が42センチ、俯瞰図形式で画がかれている。成州は平安南道成川の古名で、本沸流王松譲の古都である。松譲王は高句麗始祖東明王が北扶余から来都した時、多勿候に封ぜられた。多勿とは朝鮮古語で旧土回復という意味である。多勿という地名が地図の中央部にみえる。しかし、高句麗滅亡後に荒廃していたが、高麗太祖が剛徳鎮を設置、顕宗九年には成州防御使が、後には知郡使が置かれた。朝鮮太宗15年に成川府(郡)になる。その後に鎮(軍事要地)が置かれ、一部地域が江東郡に分離、また陽徳郡の一部と合併されたりした。洞里数は105を数えた。ちなみに記録をみると世宗地理志では安州牧、東国輿地勝覧では平安東道、朝鮮王朝では平壌府、13道行政区では平安南道、現在は平安南道に属している。現在は廃統合されているが旧成川郡のものを全部含めて洞里数は47である。

 このようなことを勘案して、記載された内容からみて古地図の年代を同定すると1018年以前のものになる。これまでは年紀のはっきりした古地図は1590年刊「平壌志」付図であるので、470余年もさかのぼることになる。大変な発見である。「平壌志」には統治、経済、故事、文化などが記載された地理志で、尹斗奉が編集した。後孫がより多くの資料を整理し、1837年に地域別のものを合刊、1854年に合本を刊行している。「平壌志」は価値ある歴書、古地図である。これよりも470余年以上さかのぼるのだから「大変な」古地図と言わざるをえない。今後、歴史の一部を書き換える「発見」である。

 1018年は高麗顕宗9年で、8月には按撫使を廃し、四都護・八牧(広州、忠州、清州、鎮州、尚州、全州、羅州、黄州)を置いた時期であり、12月には契丹が十万の兵力で侵入してきた時である。

 地図をみると内容がおもしろい。一つに、地図中央部に檀君系簿にあるブル王(檀君の長男、檀君には4人の息子がいた)など王名と関連すると考えられる地名(沸流江、ブル江など)があること、二つに、檀君の側近臣下である神誌の名が見られること、神誌は檀君朝鮮の記録係で、当時「神誌仙人」と呼ばれ、檀君の語録を収録した「三一神誥」を書き残している人物である。三つに、おもしろい地名が見いだされる。「マハジ、ゲアジ、ソンアジ、ドヤジ」である。これはそれぞれ「馬加、狗加、牛加、猪(豚)加」に対比されよう。当時の官職の一部である。檀君朝鮮時期には八加があった。「加」とは族長や高官の称号である。一つの考察法として動物名(私見)と対照させてみると虎加(諸加統率)、馬加(文書)、牛加(農業生産)、熊加(国防)、鷹加(刑罰)、鷺加(保健)、鶴加(道徳倫理)、狗加(地方官統率)の八加(パルカ)である。檀君の長男ブルは虎加、次男のブソは鷹加、三男のブウは鷺加を担当している。はっきりしているのは八加であり、猪加ははっきりしない。ずっと後には鳳加が加えられたこともあったようである。扶余時代に加制度は継承されたが、王子は官職に就かず虎加、鷹加、鷺加は廃止され、猪加が表れて六加である。

 このように見てくると、檀君朝鮮の歴史を解きほぐすのに意義のあるものになるだろう。「檀君古記」の内容は「三国遺事」に「檀君誥話」として伝えられ、「世宗実録地理志」の平壌条では「檀君古記」が引用されている。平壌が檀君時期の都邑との記述がみられる。よくご存じのように檀君は天帝桓因の庶子(長男以外の息子の子)である桓雄と熊女との間に生まれた王である。紀元前2333年、阿斯達(アサダル、現在の平壌)を都邑に定め、国号を「朝鮮」とし、最初の王朝・古朝鮮を建国した。檀君朝鮮である。以降、伝説では47代(実際にはより多い王代であったろう)の王族が約2000年間大同江流域を中心に一帯を統治した。古朝鮮については「三国遺事」、「三国史記」や中国側史書に記録され、伝えられている。なお九月山には三聖祠(桓因、桓雄、檀君)があり、長い間伝説として伝えられた江東では檀君の墓が発見された。筆者はこの墓地の発掘地を訪問することができた数少ない一人である。檀君は5011±約300年前(1993年現在)の「実在人物であった」と評価されている。

 次に「成川志」のことだが、当時の政治、経済、文化、自然地理的な内容が記述されているという。私はまだ見ていないが、これは成川地域の地名変遷過程を確認するのになくてはならないものになるだろう。1640年刊であるから正確な地名を同定する意義ある文献になるだろう。(司空俊、朝鮮大学校歴史地理学部教授)

[朝鮮新報 2003.2.12]