正月の家族の風景−「ハンメは信じとるよ」のひとことに励まされ |
先日実家から、正月に写した記念写真が送られてきた。正月の家族集合写真は、過去38年間、1年も欠かさず実行されている「わが家のお正月最重要イベント」である。 記念写真は4世代全員集合写真、父母と子供写真、父母と孫写真、各家庭の家族写真と、てんやわんやの中、風が吹こうが、雨が降ろうが、雪が降ろうが、孫が泣こうが、必ず毎年撮る。 最初の1枚は私が中学校2年生のときだった。全員集合で7人だった。その年は、私が朝鮮学校に編入し寄宿舎生活を始めた年で、私は誇らしげにチマ・チョゴリを着てすまし顔で写真におさまり、まだ健在だったハンメも写真の中で笑っている。 この、38年の間に私たちが、次々に家庭を持ち、子供が生まれ、孫が生まれ、今年は総勢21人だった。それぞれの写真をながめ、1年ぶりに家族が全員集まり楽しく過ごした時を思い出し、幸せな気分に浸ることができた。なかでも、80歳になるアボジ、オモニが7人の孫と写した写真を見ながら胸に熱いものが込み上げてきた。 愛媛の片田舎で、トンポトンネを知らない私たち4人の兄弟姉妹は、教育熱心なアボジとオモニの深い愛情に包まれ、祖国と民族、同胞社会を愛する人として育ち、よき配偶者に恵まれ、今日は7人の子供たちの親になった。かつて、子供たちに注がれたアボジ、オモニの愛は、7人の孫たちにまんべんなく注がれ、皆、立派に成長した。 7人の孫全員が初級部1年生から大学4年まで一貫した民族教育を受け、現在は各分野で活躍している。彼らは成長過程でいろいろと悩み、考え、立ち止まり、その度、親子、夫婦で葛藤の日々を送ったこともあった。苦しいとき、迷うとき、孫たちはぶらりとハラボジ、ハンメを訪ねハンメの手料理に癒され、自然とふれあい、「ハンメは信じとるよ」の一言を胸に、また自分の場所に帰っていく。 親は子への情の深さゆえ、結果的に子供をがんじがらめにしてしまうきらいがある。そのような私たちの至らなさを、はなれたところからさりげなくフォローし、孫の心をほぐし、考える力を育ててくれた父母に感謝すること幾たびだったことか。定点観測のような正月の家族写真は、その時々の家族の心模様を素直に映し出している。 今年の写真に映し出された子供たちの顔のなんと清々しいことか。孫頭の成俊、神戸朝高で講師を務める傍ら、夢の実現のためグラフィックスの勉強を続け努力した甲斐あり、2006年度「のじぎく兵庫国体」のマスコット募集でみごと最優秀賞(「フェニックス」)を受賞した。母校である四国朝鮮初中級学校で教鞭をとる成希、朝銀西信用組合勤務の成美、私の娘、裕理と理純は広島で教師と朝青活動家として親元を離れ生活している。東大大学院で勉学にいそしむ昶基、この春、朝鮮大学校を卒業する晟基は宇宙への夢を育んでいる。この時代を懸命に生きている愛しい私の娘、甥、姪たちである。 7人の子供たちを見ていると21世紀の同胞社会に夢が沸いてくる。私が過ごした青春時代に比べなんと多くの選択肢が可能になったことか。先代が血の汗と涙で築き勝ち取ってきた成果の上に若者の未来が開かれている。今日の一日が未来へつながることを今一度確認し、私も彼らとともに奮起しよう。 夢を追うことは、楽しいことばかりでなくむしろ苦しみを伴う。くじけず前進し、大きな夢を手にしてほしい。(愛媛県在住、金洋恵) [朝鮮新報 2003.2.12] |