統一ウリマルを模索、北南つなぐ在日に−「プルナ2000」の金智石代表に聞く |
歴史的な6.15共同宣言を祝う在日コリアンと大阪府民、市民の親善交流フェスティバル「大阪ハナマトゥリ」や、愛知、広島、大阪で開催された青商会の「ウリ民族フォーラム」、南の国楽神童柳太平洋公演「幻生」など多くの脚本、演出を手掛け、北南、そして日本をつなぐプロデュース活動を展開している金智石さん(40、兵庫県尼崎市在住)。NHKハイビジョン大型ドラマ「聖徳太子」(2001年)にも出演し、大阪を中心にウリマルと日本語による舞台活動をしている劇団「プルナ2000」の代表も務める。「7000万民族に通じる統一ウリマル」を提唱するプルナ2000の活動、同胞社会活性化のための各種演劇の演出活動についてインタビューした。(羅基哲記者) 初のウリマル演劇祭 ―まず、「プルナ2000」の活動から語ってほしい。 「プルナ2000」は2000年、80年代末から東京や大阪で手掛けた同胞演劇の経験をもとに、ウリマルと日本語の両方を駆使できる劇団をめざし創団した。以来、とくに「在日同胞1世が使うウリマルをパターンに、南でも北でも通じる統一ウリマル」を提唱しながら、それを実践に移してきた。 2001年の「第2回アジア演劇祭」での「CHARI−居場所」上演を皮切りに、翌年には初の在日同胞ウリマル演劇祭「PAN」を文芸同大阪演劇口演部、愛知のウリマルサークル「イッポ」、広島青商会演劇部「ナミ21」とともに共催した。 「PAN」で上演した「キッ―DNA」は日本語から始まり、そして著しく日本語化してしまった「在日朝鮮語」が登場。さらにはピョンヤン語、ソウル語が交錯しながら、それをひとつにした統一ウリマルの在り方を鋭くえぐる舞台となったと自負している。 分断で用語に違い ―統一ウリマルを提唱する意義はどこにあるのか。 北南の交流、そして統一祖国を念頭に置いたものだ。 半世紀以上にわたる北南分断の悲劇によって、意味がまったく変わってしまった用語もあれば、互いのサトゥリ(方言)を理解できないという現状もある。それに在日同胞の場合、とくに若い世代はいずれもよく分からないというのが実情で、日本語化した「在日朝鮮語」で本当に通じるかどうか疑わしい。 だからその空間を埋める作業としてまず、北南双方の人々と出会う機会の多い在日同胞はピョンヤン語、ソウル語をよく理解する必要がある。さらには、そこから北でも南でも日本でも通じる幅のある統一ウリマルを模索し、それを双方に伝えていくこともできる。これは時代の流れであり、民族文化について在日が民族の主人公としてリードしていくべき立場にもあるということだ。 ―北南の用語の違いを具体的に示すと。 「トイレ」のことを北では衛生室、南では化粧室と言う。「イロオプソヨ」(일없어요)という言葉を北では「結構です」「十分です」という意味で使うが、南では「あなたなど必要ない」という意味で用いることもある。これは大きな違いで、知らずに使ってしまえば相手に不快感を与えかねない。 民族の分断によって民族のひとつの言葉までも「北式」「南式」だといって極端に色分けし線をひく傾向もあるが、それこそ自ら分断に加担してしまう行為だ。 統一ウリマルを創造することによって、民族性の核心≠ニ言えるウリマルを在日同胞社会で守り、統一にも寄与していきたい。 積極的に学んで ―最近、「プルナ2000」の団員による1人芝居が増えているが。 2つの意味がある。ひとつは、団員のウリマルの水準を高めるところにある。すでに田琴室、金民樹、夫龍海の各団員がチャレンジした。26日には金団員が「ヨボセヨ! ウリマル」と古典劇「ノルボ伝」を披露する。 とくに、前者は生活で欠かせない電話のやり取りを通じ、「在日朝鮮語」をピョンヤン語、ソウル語と比較しながら、統一ウリマルを模索する現代劇。注目してもらいたい点は、ウリマルの生命は単語や発音、そして抑揚(イントネーション)だけにあるのではなく、呼吸とチャンダン(リズム)にあるということだ。 つまりウリマルにおいて、子音の発音は母音の強弱によって変化するということだ。 一人芝居は団員全員(10人)の課題である。日本の高校を卒業した団員(3人)の上達ぶりには目をみはるものがある。意識して使えば体得できることを示している。 もうひとつの理由は、極端に言えば場所とマイクさえあればどこででもでき、お金がかからない。要求があれば地方にも行きやすい。それにひとつの上演時間は30分程度で、むりなくウリマルを学べる。 在日の場合、流暢なウリマルを使うことをちゅうちょしたり、コンプレックスを持つ傾向が少なくないが、積極的に学んでこそ上達するものだ。 日本演劇界進出も ―ウリマルだけでなく、日本語も使うのはなぜか。 日本の演劇界への進出を考えているからだ。そのためには単独の「劇団」として存在しなければならない。「プルナ2000」を結成した意図もそこにある。段階としてはまずウリマルをある程度マスターしたうえで、その後に日本語にもよりいっそうの力を入れていきたいと思っている。この部分では今、日本学校生徒を対象にした日本語による一人芝居を行っている。 常にアンテナを ―次にプロデュース活動について聞かせてほしい。各種イベントで最も力を入れていることは。 コンセプトの設定だ。時々刻々と変わりつつある時代の変化を先に読み取り、それを踏まえてイベントの趣旨に一言で組み入れなければならない。そのためには朝鮮半島を取り巻く国際情勢や同胞社会の実情など知らなければならないことが多い。さまざまなアンテナを立てて情報を収集、分析している。とても大変な作業だが、それを抜きにして成功はありえない。 例えば昨年、大阪で開催された青商会の「ウリ民族フォーラム」のコンセプトは「ミレ・スマイル」「ミレ・サポート」。いかなる厳しい時代の中でも、子どもたちの明るい未来のために青商会がサポートしていこうという意味が込められている。また南の民衆歌手、李智相氏と共に歌謡「子どもたちよ、これがウリハッキョだ」をプロデュースしたのも、子どもたちの未来のためだった。 吉本ともジョイント ―フォーラムでは吉本新喜劇の役者と同胞のジョイントによる吉本新喜劇版「コリアンタウン物語」を手掛けるなど、演劇に力を入れていたが。 そうだ。演劇には地域同胞社会を守り立てていく力強い原動力、起爆剤が秘められている。歌や舞踊が主流を占めた時代もあったが、それには出演者たちに技術が求められる。だが演劇は素人の場合、技術よりも個性や情熱が伝われば成功させられる。同胞社会の人気者がそのまま舞台の主役になれる。大阪の各地域で行われた同胞演劇を見ても、同胞が登場するたびに大きな拍手やかけ声で会場は熱気に包まれた。 2000年に行われた生野南同胞ミレニアム・チャリティーフェスティバル「チャンチ―記念」(群衆劇)は、6.15共同宣言後、地域で育った1世から4世までの同胞100人が実際の年齢で、結婚式の日に集まり記念写真を取る現場での喜びと興奮の様子を描いたものだ。70〜80代の1世4人が出演し、うち2人が公演直前に総聯同胞故郷訪問団の一員として南を訪れた。公演ではセリフはすっかり忘れてしまったが、「故郷に行ってきたぞ」という一言だけで多くの感銘を与えることができた。これが演劇の魅力だ。 これからも統一ウリマルをめざしたウリマルの普及とともに、日本社会でも誇りを持って活動できる劇団として活動していきたい。 初の在日同胞ウリマル演劇祭「PAN」を催した4団体はその後、21世紀にも引き続き在日同胞社会の中で豊かな民族性を維持発展させていくことを目的に、「ウリ民族演劇協議会」を設立、ウリマル演劇の普及、ウリハッキョへの支援活動を続けている。HP=http://www.hct.zaq.ne.jp/pan/。 [朝鮮新報 2003.2.13] |