日本は賠償責任果たすべき−歴史認識と東アジアの平和フォーラム(下) |
「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」(2月27日〜3月1日、東京新宿区・早稲田大学国際会議場)の第3分科会と第4分科会が行われ、それぞれ「過去の克服と和解」「グローバル化と東アジアにおける平和」をテーマに活発な報告と質疑が交わされた。両分科会での報告とコメンテーターは韓、中、日の23人にも上った。この間の論議で目立ったのは、盧武鉉政権が誕生したばかりの「韓国」代表の民主化と統一に向けた自信に満ちた発言と中国代表の靖国神社問題への日本政府に対する仮借ない批判であった。その主だった発言を整理すると―。 「過去史の清算教育界でも論議を」
「韓国の現代史教育における日・韓の『過去史』清算と新しい模索」と題する金漢宗・韓国教員大学校教授の報告はまず、「過去史」の概念を「ここでは帝国主義日本による植民地支配とそれにともなう韓国人の苦痛と被害に限定する」と説明。そのうえで「韓・日の過去史を清算する時何よりも必要な観点は戦後処理と賠償、そしてかつての日韓関係をまとめることである。しかし、韓国の教育界はその議論をほとんどしてこなかった」と述べた。その原因については「『親日勢力』の存在、さらに韓国現代史の出発点が日帝の植民地支配によって作り上げられた『過去史』の産物であった」ためと分析した。 金さんは「韓国高等学校国史教科書の場合、65年の韓日会談が屈辱的なこととして認識され、多くの国民の抵抗にあった事実も記述されているが、これが 『過去史』見直しにまで及んでいない」と指摘した。 一方、「昭和天皇の戦争責任をめぐって」と題して報告した安田浩・千葉大学教授は、ピュリッツァー賞受賞作となったジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」やハーバート・ビックス著「昭和天皇」など近年米国で昭和天皇研究が活発に進んだと指摘。その注目すべき点は「昭和天皇の戦争責任の免責問題、つまり輔弼にしたがってその意に満たない決定でも『立憲君主』として裁可したという神話の創出が、『国体』護持を目的とする日本の政治支配層と、占領政策の円滑な実施に天皇の権威を利用できると考えた米国・占領軍の政治支配層の、思惑を異にしながらも一致点を持った2つの戦略の合作の産物であった」と強調した。 侵略美化する日本に懸念 また、「日本の対中国戦争賠償責任逃避の歴史と現実」と題する報告を行った孟国祥・南京医科大学社会科学部主任教授は日本は国際情勢と中国の不統一を利用して、賠償責任を逃れてきた、と指摘しながら、「戦争賠償は加害国が必ず尽くさねばならない義務と責任であり、被害国の当然の権利である。中国民族が日本の中国侵略戦争によって、こうむった空前の巨大な被害は賠償されねばならない。特に日本の官民の間には侵略を美化する逆流が沸き起こり、中国人民の間には日本に賠償請求しようとする動きが広がっている。しかし、日本政府は国際的な潮流を無視して再三当然負うべき賠償責任を拒んでいる」と強く非難した。 フォーラムでは、「靖国問題の諸相」と題する高橋哲哉・東大助教授の力の入った報告が行われた。高橋さんは小泉首相の3度にわたる靖国神社参拝は「中国、韓国、日本の間の重大な政治問題として再浮上した」と指摘したうえで、「この問題は政治問題であると同時に思想問題でもあり、根本的には『国家』の意味をどう捉えるか、という問題に収斂する」と強調した。 高橋さんは近代西欧に誕生した国民国家群が「祖国」のために戦争で死んだ兵士たちの「崇高な犠牲」を称え、顕彰し、美化し、「英霊」化することによってナショナリズムを創出し、高揚させ、国民を新たな戦争へと動員していったプロセスに触れ、次のように指摘した。 「どんな『国立戦没者追悼施設』も、それが『戦没者』の記憶を管理、統制する『国立』施設であって、国家の歴史認識と戦争政策から自由ではない限り、いつでも、『戦争』を支える『ナショナリズム』の装置になりうる。『戦没者追悼』の国家利用を許してはならない」 3日間で約1000人が参加した「歴史フォーラム」を、南朝鮮37人、中国16人、日本60人のスタッフらが支えた。閉会式の司会をした中原道子・早稲田大学教授は「日本はアジアへの傲慢な意識を捨てるべきであり、過去を清算すべきである。再び東条英機が出てくるのを許さず、笑顔に満ちたアジアを作ろう」と呼び掛けた。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2003.3.26] |