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高麗人参余話(3)−秦の始皇帝も捜し求めた山

中国の国宝に指定された山蔘(北京、人民大会堂)

 昔から山蔘があるところには紫色の光彩があり、空には曙光がさすと言い伝えられてきた。夜、シンマニ(山蔘を掘る人)達が山に登り光のある所を矢で印をつけ、あくる日矢の刺さっている所から山蔘を掘り出すという。山蔘がたくさん発見されると天の神が王を祝福し、豊年がもたらされるとか太平な世の中が約束されるとか言われている。また、千年経った山蔘を食べて神仙になったという伝説などが語られてきた。

 紀元前、秦の始皇帝は古代中国を統一した後、不老長寿の神薬を求めに方士、徐福を東の三神山に送ったという故事がある。不老長寿の薬とは山蔘ではなかったのか。三神山とは朝鮮半島の金剛山、智異山、漢拏山であると朝鮮では思われている。

 山蔘は朝鮮人蔘の原種としてみる事ができる。いまでは人蔘(インサム)というと栽培蔘を指すが本来人蔘は山蔘を意味した。

 山蔘は年数の経ったものほど珍重がられ、薬効に優れていると民間では深く信じられている。稀に300年以上のものもあるというがよく見つかるのは30年程度のものである。山蔘の寿命は人の最高齢と同じ位である150歳程度と見ている人が多い。まさに草というより樹というべきで「草のようにみせかける樹」と言える。

 山蔘は山岳地帯の奥地に自生する植物で環境、生年により異なるが茎の高さは大きいもので50p位で、緯度上では北緯30度から48度の間の地域に自生する。

 山蔘の根っこの大きさ、形は土の性質、山林条件と気候条件によりさまざまである。山で育つ山蔘は栽培蔘より不利な環境条件で育つので栽培蔘のように年根別にその特徴がはっきりしない。山蔘は栽培蔘に比べ発育が遅く、葉は小さく薄い。葉を陽にあてると銀色の光沢がある。茎は細くて短く、花は栽培蔘より遅く咲く。栽培蔘のように良い条件で育った山蔘は年数により茎の数が増えるが、普通は少ないほうである。花は3年生から咲くが一定ではない。一般的には栽培蔘より遅く咲く。花と実の数は栽培蔘より少ない。根っこの茎は長いのが特徴で9cmに達する。根はとても小さく形が一定ではない。しわが多い根っこの大きさは10年から20年もので栽培蔘の3〜4年生の根と同じ位である。普通1年のうちに1.1〜1.6グラム程度しか育たず成長速度がとても遅い。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2003.5.1]