〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉 詩人・盧天命 |
首の長き 悲しき鹿よ 水面の影に 見入り 自然と郷里への愛 盧天命(1912〜57)の代表作「鹿」(詩集「珊瑚林」)の全文である。彼女は「鹿の詩人」と言われた。「鹿」の孤高な品位と美は「猛獣」拒否の精神であり、「伝説」と「郷愁」は悲しい植民地現実の中でつのる民族の伝統と祖国の自由への思いとつながる。「盧天命は現実での生存様式を悪徳と醜悪と見なし、鹿において自らの姿を発見した」(『韓国現代文学史探訪』金容誠)のである。 鹿の澄んだ目で自然と郷里、人生と愛を見つめ清冽に生きようとした。彼女のその純粋な心が美しくも悲しい郷愁と孤独の彼女の詩風を形づくらせた。 朝鮮ではじめてレベルの高い女性詩人として登場した彼女は4つの苦闘をのりこえたと言える。その1つ目は女性の低い社会的地位をのりこえたこと、その2つ目は悪徳の植民地現実に毅然たる拒否精神で対したこと、その3つ目は論理的に過ぎた20年代リアリズム詩をのりこえ、高度な詩芸術世界を指向したこと、その4つ目は、純愛を貫いたことである。 天命は、幼時に名勝の夢金浦に近い黄海道長渕で麻疹にかかり、皆があきらめるほどの重体に陥ったが、幸いにも一命をとりとめたので、名前を「天命」と改めた。 大きな詩史的功績
1934年、名門である梨花女子専門学校英文科を卒業後、彼女は朝鮮中央日報などの記者として活躍し詩作に没頭した。呉一島主幹の「詩苑」(1935、創刊)に参加し、劇芸術研究会(会員に咸大勲、李幹求、毛允淑ら)の一員としてチェーホフの「桜の園」公演(1938)にもアーニャ役で出演した。詩集に「珊瑚林」(1938.1)後、「窓辺」(1945.2)、「星を眺めつ」(1953.3)等を残している。 幼くして父母を失った「孤独の詩人」天命は、ある詩人のプロポーズを断りながらも、彼女が出演した「桜の園」を観劇に来たある一人の男との運命的な出会いがきっかけとなり、センセーショナルな恋愛事件を起こす。既婚者である普成専門学校金光鎮教授を熱愛するようになったのである。これは社会的に騒がれ、小説化(兪鎮午「離婚」1939)までされた。恋愛が不道徳とされた時代に、世間の非難は、男性よりも女性の側に集中したのだ。天命は結局一生涯結婚せず、独身で過ごした。金光鎮は「ふるさとの平壌に行って来る」と言い残し北へ行ったきり、ふたたび帰ることがなかった。こんないきさつもからんでか、朝鮮戦争当時、共和国作家金史良の橋渡しで「朝鮮文学家同盟」に参加したことが「罪」となり、彼女はソウルで「地獄の囹圄生活」(1950.9.28〜1951.春)を送ることとなった。 盧天命の詩の中で解放前に書いた「異国の街」や「小さな停車場」、「ナムサダン(男寺党)」などは流民の悲哀感がこもっており、「故郷」、「市の日」、「ひきうす場」などは村人たちの生き生きとした民俗情緒と生感が漂う美しい風物詩となっている。詩人の深い郷土愛(祖国愛)に根ざした伝統と清冽の詩世界は、誇り高いわが民族の精神文化的資産である。 とても短い、省略され洗練された美しい母国語の魅力的な詩語と、絵を見るようなリアルで鮮明な表現、その静謚のリズムは、現代朝鮮詩学形式の斬新で高度な技巧的水準を誇示している。悲痛な生涯だったが、彼女は詩史的にも詩学的にも意義ある大きな功績を残した女性詩人として高く評されている。 最後に詩「誰も知らずに」(詩集「窓辺」大村益夫訳)を紹介しておこう。 だあれも知らず 人知れず 真赤なトウガラシが 燃えて広がるわら屋根― (金学烈、朝鮮大学校、早稲田大学講師) ※盧天命(1912〜57)。1934年、梨花女子専門学校英文科卒業後、朝鮮中央日報記者のかたわら詩作。詩集「珊瑚林」、「窓辺」、「星をながめつ」ほか出版。 [朝鮮新報 2003.5.12] |