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「今」に向き合う存在感を−劇団アラン・サムセ公演「夢の国をさがして」

新人の熱演が光ったアラン・サムセ2003公演

 劇団アラン・サムセ結成15周年記念公演「夢の国さがして」が6日〜8日まで東京世田谷区にある東演パラータで上演された。

 なかなか一筋縄でいかない劇である。94年初演に続いて今年は2度目。東アジア情勢はこの10年で激変し、統一世代と呼ばれる人たちの活躍はめざましい。だからこそ「夢の国」の定義をめぐっての世代間のイメージは大きく異なってくる。6.15南北共同宣言以降の環境の変化にあっては故郷や祖国というのは、現実的なリアリズムの中にある。かつての民主化闘争への憧れや共感は、具体的な風景の中で語られないと意味をもたなくなったからである。

 この劇の中での故郷談義がある。主人公玉香の語る自分の育った三河島の朝鮮市場の思い出―。ニンニク、唐辛子、とびかう朝鮮語、ホルモンの匂い。この玉香の持つ故郷のイメージに対して、スンミは「でも具体的なイメージはないでしょう」と反論し、玉香が「故郷って物質的じゃないといけないの」と反問するシーンがある。

 まさに「故郷」は、「夢」であり、この劇の核心である。「夢」を必死で探そうとした1人と「捨ててこその夢」を唱えるもう1人の対決。そして、ホルモン文化を築いた在日1世の誇りと生き様も絡む。そこに「家族も友人も民族もすべての過去を捨てろ」と叫ぶ「夢の保険屋」と称する男の出現。この男は何とチョゴリをナイフで切り裂いて「こんなもん脱いで楽になれ」と迫るのだ。

 在日の「故郷への夢」は生きるための闘いなしには語れないことをこの場面で強く印象づけた。あたかも万景峰号の入港を阻止する日本当局の騒乱と日本列島を震撼させる北叩き。北を押し潰そうとする米日のネオコン勢力の台頭がある。苦渋に満ちた歴史と「今」に向き合う時、もっと深い「人間の存在感」が欲しい。(粉)

[朝鮮新報 2003.6.16]