「無償の愛」が語る苛烈な生−映画「ある在日朝鮮人海女の半生」、「おばあちゃんの家」 |
奇しくも上映の時期が重なった2本のハルモニの映画。1つは「シンセタリョン―ある在日朝鮮人海女の半生」(桜映画社 TEL 03・3478・6110)。もう1つが岩波ホールで公開中の韓国映画「おばあちゃんの家」。ひなびた山村を舞台にした少年とハルモニの心の交流が描かれ、南で400万人動員という記録的ヒット作となった。2本の映画を見た人は感動のあまり「泣きっぱなし」という人も多い。観客の涙腺の源には、朝鮮のハルモニの生き方を貫く「無償のおおらかな愛」があった。 泣き笑いの熱い涙流す 「海女」の映画は大阪に暮らす元海女、梁義憲さん(86)を描いたもの。 映画は過酷な労働に明け暮れる在日朝鮮女性の生活史であり、また植民地支配と祖国の分断で翻弄された家族の歴史を伝える貴重な証言となっている。 梁さんの亡き夫は朝鮮学校設立のために奔走し、ほとんど無収入。映画では「アカ仕事でいっさい家にお金を入れなかったよ」と語るシーンがある。6人の子供を抱えた梁さんは家計を1人で支えるため、働き続けた。毎年、3月から10月まで家族と離れ、鹿児島から対馬、四国、三重、静岡、と全国の海に潜り続けた。エアポンプを口にくわえ、水深50メートル、時には100メートルまで潜った。1日の稼ぎは2〜3万円、多い時は5万円にもなったが、牛乳1杯飲むこともせず、大阪の家族に送金する梁さん。 また、映像は共和国へと帰国する4男との別れの日、涙がとめどなく流れる梁さんを映し出す。母のわが子への愛の深さがしのばれて、観る人の心を涙で濡らす、忘れられぬ場面である。母は平壌に暮らすわが子へ送金するため、70歳近くまで海に潜り続けるのだ。平壌の子供や孫たちが喜ぶ贈物を持ってこれまで、18回も祖国訪問した母。 植民地、分断、家族の南、北、日本への離散、20世紀の朝鮮民族が体験したあらゆる受難を一身に背負いながら、笑顔を絶やすことなくドッシリと生きる不屈の物語。逞しい女の一生がフィルムいっぱいにあふれ、泣き笑いの熱い涙が観客の目をぬらすのだ。 「全く打算のないむくの愛」 映画評論家の佐藤忠男氏を「ちかごろ、こんなに気持ちよく見ることのできる映画も滅多にない」と感嘆させた「おばあちゃんの家」(原題は「집으로」)。 いかにも貧しい山村。しかし、何と美しい緑、流れる時間に身をまかせて暮らす村人たち。そんな時間が止まったような寂れた村のあばら家に住むハルモニに、失業した母親が、ひと夏の厄介払いに押しつけたのが、ソウルに住む孫息子サンウ。ハルモニは読み書きもできず、口もきけない。2人のコミニュケーションはもっぱらボディーランゲージである。少年は孤独といらだちをハルモニに向けて爆発させる。 だが、ハルモニは決して怒らず、持ちうるすべての愛情を惜しみなく注ぐ。この映画を作ったリ・ジョンヒャン監督の「自分を無条件に愛してくれた、今は亡きおばあちゃんに、お返しすることができなかった感謝の気持ちを捧げる作品を撮りたかった」という思いがここに投影されている。このハルモニの孫に寄せる愛こそは「全く打算のない、純粋無垢の愛」(佐藤忠男氏)である。 たゆとう波のように 苦難の朝鮮の近現代史の中で、女性たちの苦闘も並大抵ではなかった。女性が子を生み、命を育む過程は、決して平坦な環境の下に置かれた訳ではなかった。外敵からヒナ鳥を守ろうとする母鳥のような激しい闘争心によって、子を育てねばならなかった朝鮮のオモニたち。この2本の映画のベースには、激しく、苛烈な時代を生きたハルモニたちの到達した穏やかで、たゆとう波のような優しい気性が横たわっている気がしてならない。それは「海女」の映画を見た観客の「映画のハルモニを見て、自分のアボジ、オモニの苦労を思い出した。同時に20世紀の植民地時代を生きた朝鮮民族の受難を思い、涙が止まりませんでした」(埼玉、金令分さん)の感想にも表れている。ただの優しさではない、苛烈な運命を乗り越えた朝鮮女性だけが持つおおらかな愛なのだと思う。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2003.6.16] |