top_rogo.gif (16396 bytes)

人間の全存在かけたヒューマンドキュメント−「許浚」日本語版出版

 南朝鮮で300万部を超える大ベストセラーとなった長編歴史小説「東医宝鑑」(上中下巻)の日本語訳がこのほど出版された。本のタイトルは「許浚」(上下巻)。翻訳は長野市の松代大本営跡地調査でも知られるソウル市在住の元梨花女子大学教授・韓国外国語大学元教授の朴菖煕氏(70)。「国家保安法」違反で3年間の獄中生活を強いられた際も、翻訳の手を休めなかったことで知られる。

 小説は、ほぼ450年前に朝鮮の地に生まれ、不朽の漢方名著「東医宝鑑」を遺した名医・許浚を描いたものである。作家の李恩成さんが1990年に出版したもの。厳しい身分差別と闘いながら、医の道をきわめていく許浚の生涯は掛け値なしに感動的である。

 本書は長大(上下で1051頁)であるが、手に汗握る人間ドラマが展開し、息もつかせない。この物語を原作にしたテレビドラマも、南で視聴率60%を越える人気番組であった。その人気の秘訣は、「心医」と呼ばれる理想の医師像を許浚に見たということではないだろうか。現代は絶え間ないストレスや不安に苛まれる時代である。そんな時代だからこそ、あるべき医療の姿、医師と患者の関係が問われている。身体疾患の対症療法的治癒にとどまらず、心の癒しが叫ばれる時代にあって、本書では、人間と人間との熱い格闘、師と弟子の魂の交流、医師と患者の病克服のための壮絶な死闘が繰り広げられる。近頃目にする安物のヒューマンドキュメントではない、人間の全存在をかけた重厚な人間愛の物語なのだ。

 特に圧巻なのは、生涯の師・柳義泰が胃癌に侵され、余命いくばくもないことを悟って、夏でも氷が張るといわれる密陽の天王山の時礼氷谷に赴き自害し、その遺体を許浚に解剖させ、最後の教えとした場面。鬼気迫る凄絶な描写は、この物語の核心である。このことによって許浚は、人間的な成長を遂げ、いかなる難局に直面してもくじけることのない「医の心」を獲得することになったのである。

 本書を読む上で忘れてはならないのは、朝鮮王朝時代の厳しい残酷な身分差別である。この身分制度は、許浚の出生が庶子、卑賤身分の妾の子、ということから生涯、許浚に苦しみを背負わせることになる。飢えに泣き、病に苦しむ民衆。激しく揺れる時代のルツボの中で、厳しい身分差別に抗しながら医の倫理と真実の愛を求めてやまない許浚の高潔な姿が浮き彫りになるのだ。無残な差別制度は社会の差別観念を拡大再生産しながら、20世紀半ばまで続いた。本書に記述されるハンセン病やペスト患者への歪んだ偏見は、現代において果たして根絶したと言えるかどうか。病と同時にこの身分差別と闘い抜こうとする許浚の不屈の精神力に私たちが学ぶべきことは多い。

 国際的に知られる中国の漢方書「本草綱目」を凌ぐと評価された朝鮮医学の集大成、全25巻の医書「東医宝鑑」。この医書は1610年に発行されて以来現在も、現役の朝鮮の医学書として読み継がれている。驚異的な輝きを放つこの名著の中に許浚は永遠に生き続けているのだ。

 「東医宝鑑」は当時の医学のあらゆる知識を網羅した臨床医学の百科全書である。83種の古典方書と漢、唐以来、編さんされた70余種の医方書が引用されている。「東医宝鑑」の刊行は朝鮮本国はもとより、漢方の「本家」中国、日本にも多大な影響を与えた。中国では1763年に初めて刊行されて以来、今日まで25回にわたって、30余種の異なった版本が刊行されている。

 一方、日本では1662年、江戸幕府が使節団を朝鮮に派遣した折に同書を求めており、それを元に1724年、1799年、1984年にも刊行された。

 今回の翻訳出版に当たっては、桐原書店の小島昌光会長が「命の大切さを感動的に描いた傑作」と高く評価し、友人たちと新出版社を設立、翻訳出版に踏み切ったもの。

 本書に推薦文を寄せた弁護士の新美隆さんは「朝鮮民族の心性の原型とでもいうべき人生や自然に対する見方、考え方が浮かび上がってくる。民衆レベルの相互交流と信頼を醸成する上で本書が広く読まれることを期待する」と述べている。(朴日粉記者)

 「許浚」上下巻(各1900円。結書房発行、桐原書店発売。申し込みは桐原書店へ。〒166ー0003東京都杉並区高円寺南2―44―5。 TEL 03・3314・3120、FAX 03・3314・4469。

[朝鮮新報 2003.6.20]