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高麗人参余話(7)−自主的な民族医学

 人蔘は古来より不老長寿の薬として知られている。現代の薬理研究によって人蔘の秘密が徐々に解明されつつある。

 血中脂質を減少させ、動脈硬化を防止、脳の血流を促進、脳組織の代謝を改善、中枢神経の機能を調節、血糖値の減少、タンパク質の合成を促進、活性酸素を除去し、老化防止などの人蔘の優れた作用こそが不老長寿の効能、効果につながっている。

 人蔘は代表的な補気薬だけに、体力の消耗が激しいときなどに、大きな力を発揮する。細胞内や血漿中の水分を増やすには人参を用いると有用な水分を生じ、のどを潤す作用がある。血の流れがよくなると心筋梗塞、脳梗塞を予防できるなどの効果が明らかにされている。

 私たちの先祖が人蔘を使ってきた歴史は長い。文献に現れる以前から民間で広く使われていて、今日に至るまでその歴史は数千年に及ぶ。

 ウリナラに中国医学が入って来たのは高句麗の平原王3年(560年)であると言われている。この後、統一新羅、高麗の時期は中国漢方医学の流入期であり、李朝の世宗大王による済世救民策により自主的な民族医学が発展した。これを象徴する代表的な文献が世宗15年(1450年)に刊行された「郷薬集成方」であり、光海君2年(1610年)、許浚により編纂された「東医宝鑑」。

 壬辰倭乱(1592年4月〜1598年)にあってわが民族は身分の貴賎や男女老若の別なく祖国防衛に立ち上がったが、戦乱中、疾病が蔓延して多くの人命を失った。許浚をはじめとする内医院の医師たちは二度とこのような惨禍を繰り返さないために一丸となり「東医宝鑑」を編纂したのである。「東医宝鑑」には臨床各分野に亘った病証例とその治療法が収録されているが、人蔘が処方された例は3944の処方中、653(全体の17%)にも及ぶ。その後、李朝後期の名医黄道淵(1808〜1884年)の三統分類法による「方薬合編」には467の処方中、132(28%)の処方に人蔘が使われている。(洪南基、神奈川大学理学部非常勤講師)

[朝鮮新報 2003.7.4]