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公州での第21回南朝鮮演劇祭に参加して

 月の光に想いを馳せ
 千里の峠 越えて行こう
 星ひとつふたつ数えながら
 アリラン アラリ ハナアリラン

躍動感いっぱいの舞台(舞台写真提供=南の写真家、安海龍氏)

 オリジナルのエンディング曲「アリラン恋歌」が流れると、会場は一瞬水を打ったように静まり返った。役者のシルエットが闇に溶け込み、割れんばかりの拍手がどっと沸いた。眩しいスポットを浴びながら役者たちが満面に笑みをたたえ、カーテンコールに応えた。

 舞台袖で見つめる私の脳裡には、激動の時代を演劇とともに生きてきた歳月が走馬灯のようによぎった。

 プルナ2000と文芸同大阪演劇口演部の合同作品「ハナ・アリラン」が6月26日、忠清南道公州市文芸会館大劇場で開催されていた「第21回韓国全国演劇祭」の晴れ舞台で上演された。

仁川空港での歓迎風景

 「全世界韓国語圏演劇祭を目指す」という大会の趣旨に沿って海外から招待されたのは私たちのほかに、文芸同東京演劇部アラン・サムセと中国延辺劇団、カザフスタン国立高麗劇団の3チームであった。

 私にとっては3度目の正直にしてついに実現した南での初公演であったが、過去の2度に比べ情勢は最悪であった。拉致や核問題などで朝鮮半島を取り巻く情勢が緊迫化し、日本における対朝鮮感情は植民地時代を凌駕するほど悪化している。

 このような状況のなかで行われる南での初公演。かの地の同胞に何を見せ、何を伝えるべきなのか。闇は深い。安易な楽観主義や未来志向は逆に暗鬱さを増すばかりだろう。

 「アリラン詩話」という、現在の同胞を取り巻く日本の状況や、未だ高く聳える南北の壁を描いた、息詰まるほど暗い脚本を一週間で仕上げた。

 しかしたった1度の本読みで私はその作品を放棄し、2晩徹夜して新作「ハナ・アリラン」を一気に書き上げた。明るく元気で涙もろくて前向きな同胞を描こうと。私自身は平壌を6回訪問し、南には4回目の訪問であった。しかし出演者の多くははじめて踏みしめる夢にまで見た故郷の地である。

 民族教育や権利擁護の最前線で体を張ってきた、誇るべき先輩や後輩がいる。ウリハッキョに通えず劇団で必死にウリマルを習っている若い子がいる。国立大学で朝鮮学校卒業生の受験資格差別に反対して闘っている大学生もいる。10代から50代の出演者は同胞社会にとって宝のような存在なのだ。

 また公州の人々にとってははじめて目にする総聯の同胞たちである。舞台を通していい出会いをさせてあげたい。感動の瞬間を体験させてあげたい。私の決心は固まった。

 「アリラン詩話」でどん底に叩きつけられた私の精神は、その反動で上昇をはじめ、地の底から沸き立つ笑いや喜び、最悪の状況であっても、生きている限り見失うことのない健全な精神を探り当てることができた。それは誇るべき在日同胞の歴史であり、その歴史の生命線である民族教育であり、さらに民族教育の核心であるウリマルであった。

公州市文芸会館大劇場の前で行われたセレモニー

南のスタッフらとなごやかな交歓風景

 舞台は、北の金剛山と南の雪岳山の泉でつくった焼酎「ハナ」のCM撮影現場。スタッフ、キャストすべてがこのCMに密かな想いを寄せる同胞たち。しかし朝鮮系企業に対する風当たりが強まるなか、主役のスターがキャンセルとなる。主役なしでCMを作ろうと奮い立つなか物語は急展開する。しかしこれら一連の展開は、同胞だけで統一の想いを込めたCMを作りたいと願う女性監督と、10年前朝鮮学校の恩師であった監督との劇的な再会を願い続けてきた教え子たちが同時に仕掛けたものであった…。

 私は異国の地で民族を守り続けてきた主流とも言うべき同胞たちの姿を、生のままで南の同胞たちに見せてあげたかった。だからあえて舞台に虚構と現実を交錯させた。

 芝居の中でスタッフ全員が在日同胞であることが明らかにされる場面がある。

 「この中に1世はいないだろうし、お前たちはいったい何世なんだ? 2世から4世までいるのか。朝鮮籍、韓国籍、日本籍のものは各々手を挙げろ。北に行ったことのあるもの、南に行ったことのあるもの、手を挙げろ」

 女性監督の矢継ぎ早な質問に役者たちが答える。

 たった8人の出演者のなかに質問に当てはまるすべての同胞がいる。これが南北、日本という図式だけでは分けられない、逆にそのすべてを内在している在日同胞のリアリティーなのだ。

 そして元朝鮮学校教師と教え子たちの感動的な再会。

 不遇な状況を勝ち抜いてきたヒロインの子が歌う。

 …コヒャンはウリマル/故郷は日本語/意味は同じ/でも何かが違う/知りたいな/気になるな/花咲く野山/つつじの花/故郷は海を渡ったこっち側/コヒャンは海を越えた向こう側…

 「1年も習えなかった私のへたなウリマル、通じるかしら? 不安だよ、ソンセンニム!」

 これも虚構ではなく、現実であった。

 脚本にはこの台詞の後に無責任なト書きが記されているだけであった。

 ―観客の拍手歓声を誘わなければならない―

 役者にとってこれほど厄介な役回りはない。

 本番の日。私は固唾を呑んだ。

 「ヨロブン、どうですか? ヨロブンがこの子に答えを出してやってください!」

 温かい拍手が芝居を中断させるほど鳴り止まなかった。出演者が感極まって芝居を逸脱した感があったが、私はこれでいいと思った。

 この大役を見事果たしてくれたのが文芸同大阪支部委員長であり、現役のウリハッキョ国語教師である許玉汝先生であった。

 テロを口実に無謀を極めるアメリカの一国支配によって、祖国の南北と隣国日本は類例のない憎悪の連鎖を繰り返している。しかし少数ではあるが、在日同胞ひとりひとりの存在のなかで、南北と日本は憎しみあうことなく、平和共存している。在日同胞は百年の歴史のなかで亡国と分断の辛酸を嘗め尽くしてきた。そのたびに血の滲むような思いで「アイゴー」と叫んできた。しかし絶望することなく、奈落の底で「アリラン」を歌いながら再び立ち上がってきた。そして今まさに私たちは「ハナ」の「アリラン」をともに歌おうとしているのだ。

 そのことを表すためには、内容だけでは不充分であった。

 ここは異国ではない。ウリマルの大地である。ウリマルが通じなければ意味はないが、それだけでも充分ではない。

 私は役者の力量に合わせて、ピョンヤン語、ソウル語を配し、さらに若干の八道サトゥリ(方言)と古典パンソリ、日本語を織り交ぜた。それでこそ南北、日本が内在し、共存する在日の在り方を証明することができる。

 公州に着いてすぐ手始めに、旅館のアジュンマを相手に忠清道サトゥリを試してみた。これがアジュンマの笑いを誘い、俄然やる気になった。

 「ウリマルのデパート」とも言うべき離れ業を見事やり遂げてくれたのが、同胞生活相談所の仕掛人であり、昨年朝鮮大学校同窓会奨励賞を受賞した、大学時代からの演劇仲間である邵哲珍氏であった。

 2人の大先輩を柱に、20歳前後の若者が必死に喰らいついてくれた。

 公演終了後、主催者のひとりが語った言葉が今も心に響いている。

 「みなさんがはじめて南の地で公演した意義は計り知れないほど大きい。近いうちに平壌の劇団の公演が実現することを願っている。その時はじめて本当の全国演劇祭を開くことができるのです」

 私の脳裡に20代の頃、北の地で出会った演劇の大先輩たちの懐かしい顔がふと浮かんだ。若い団員たちが日ごろの練習で身につけたパンソリや民謡を唄い、チャンダンに合わせてオッケチュムを踊っている。何の隔たりもないハナの民族として…

 忠清南道演劇協会と1年に1度定期的に交流することを謳った、「姉妹提携協定書」に調印した。次回の公演では肩肘を張ることなく、楽しいフィクションの芝居ができそうな気がした。私が最も得意とする百済の歴史劇なんかを上演したいとしみじみ思った。

 7月18日に大阪で「ハナ・アリラン」の帰還公演を開催する。

 多くの同胞のみなさんに是非観ていただきたい。(金智石、プルナ2000代表)

[朝鮮新報 2003.7.9]