存在する人間の真実照射−゙智鉉写真集「猪飼野」 |
「猪飼野」の名は遥か奈良時代にさかのぼる。「日本書紀」に記され、朝鮮市場のある御幸通りの名も、仁徳天皇がこの地に御幸したことに由来する。平野川は百済川とも呼ばれ、古代の百済郡は現在の生野区を含む広大な領域であり、今も百済寺などの古代史跡が残されている。 その百済系渡来人が開いたと言われる大阪・猪飼野には、20世紀、数多くの朝鮮・済州島民らが渡ってきた。 「写真集 猪飼野―追憶の1960年代」をこのほど刊行した在日1世・写真家゙智鉉さん(65)も、48年、10歳の時、叔母に連れられて、父が住む猪飼野にやってきた。その時以来、半世紀以上を猪飼野で生きて来ださんにとって、この地は「育ての故郷」なのである。 平野川の渡し船、川底のくず鉄をあさる男。長屋の外に干されたふとんやせんたくものの風景。路地裏を悠然と歩くチマ・チョゴリ姿のハルモニたち。にんにくやら干し魚やら白菜がうず高く積まれた朝鮮市場の賑わい。そこに写し出されるのは在日同胞の歴史の縮図にほかならないのだ。
この写真集に、作家・金石範さんが「時代を超えた在日の歴史の証言」と題する珠玉の文章を寄せている。その中で金さんは「大阪を離れてもう半世紀近いが、私はこの写真集に『60年代』を超えた在日の歴史を見る。それは闇から光のなかへ出てきたように、歴史をわれわれの前に形を持って浮き上がらせてくれることでもある。そのような゙智鉉のレンズの視線。そして、そこには存在する人間の真実が陰翳をたたえて描かれている」と記している。 5日、東京上野で行われた出版を祝う会で、答礼のあいさつに立っださんは「27歳の時からあしかけ5年に渡って、猪飼野の写真を撮り続けた動機は、少年期に味わった悲哀、民族差別と貧困の屈辱感と癒しがたい心の疼きであった。地名を消すということは、連綿と続く歴史と生活の痕跡の抹殺でもある。この写真集は、懐かしさと屈辱感という2つに引き裂かれた記憶を手繰り寄せながら、『自分は一体何ものなのか』を探し続けた私の青春の原点である」と述べた。 写真に写っている「少年たちは自身の分身であり、オモニたちは瞼の母の幻影」であると語る゙さん。 今はその名を消した猪飼野に移り住んだ同胞たちの過ぎし日のざわめき。この地に足をつけ、精一杯踏ん張って生きた人々の息遣い。「育ての故郷」への得も言われぬ愛情が匂い立つ。(朴日粉記者)(新幹社、2800円+税。TEL 03・5689・4070) [朝鮮新報 2003.7.14] |