写真展「記録と記憶のトライアングル〜韓国、在日、沖縄を撮る10人の眼〜」東京で開催 |
南朝鮮と在日、沖縄の写真家たち10人による写真展「記録と記憶のトライアングル〜韓国、在日、沖縄を撮る10人の眼〜」(主催=同実行委員会)が先月18〜23日、東京新宿文化センター内ギャラリーで開催された。 写真展には、「坡州の基地村問題」(李勇男、南)、「梅香里の米軍爆撃場」(鞠受容、南)、「韓国人原爆被害者」(申東必、韓国)、「米軍による女子中学生死亡事件」(盧純鐸、南)、「従軍慰安婦」(安海龍、南)、「日本の戦後補償」(「昭、東京)、「大阪マイノリティー・ポートレイト」(牧田清、大阪)、「戦争の傷跡」(比嘉豊光、沖縄)、「もうひとつの沖縄問題」(ジャン松元、沖縄)、「基地を取り巻く人々」「日の丸を視る眼」(石川真生、沖縄)など270点が展示。19日には、同センター小ホールで「『現場』は何を語るか?」をテーマにシンポジウムが開かれた。 年老いた被害者
写真に収められた朝鮮人被爆者(撮影:申東必)の手には、「武運長久」の大文字とともに戦場に追い出すために日本への忠誠や戦争を煽る文章が刻まれた「日の丸」が握られていた。写真の主は現在日本で治療中の原爆被害者協会湖南支部長の崔英鐸さん。別の写真には、関東大震災の生存者であったハラボジの姿、中国東北部の朝鮮人「慰安婦」の墓に母国から持ち寄った水、土、米を捧げ、鳳仙花の種を蒔く人たちの姿が収められていた(「昭)。 他にも、いまだ自身の体験を周囲には明かせず、凄絶な記憶を自分の胸の内だけにとどめたままいる元「従軍慰安婦」たちの写真(安海龍)もあった。 「さんは、東京大井競馬場近くで小さな焼肉店を営んでいた関東大震災の生存者、゙仁承ハラボジに想いを寄せながら「国を奪われ、田畑を取り上げられて、食うに食われず日本に渡ってきた人たちが、自然災害のもとで虐殺された。゙さんは足にトビ口で切られた傷があり、足を引きずりながら生活していた。虐殺現場での恐ろしい記憶に夜な夜なうなされ、苦しみ続けださんが、解放後も日本で暮らしつづけた意味、そして、ここで生涯の幕を閉じた意味は何か。戦争と植民の傷は100年経っても癒えない」と語った。 真の平和を
南朝鮮からの出品者たちの作品には、米軍の犯罪行為を記したものが数多く展示された。 やぶれたボロ切れのようにさらされた乗用車、砂利の上に現れた砲弾に座る少女、爆撃機の轟音に耳をふさぐ子ども。これらは梅香里米軍爆撃場の写真である。 撮影に当たった鞠受容さんは「半世紀もの間、梅香里は米空軍爆撃演習場として使われてきた。少女が腰掛けている爆弾は200キロを越える。これが空から降ってくる場面を想像してみろ。耳をふさいだ子どもは、生まれたときから轟音の中で暮らしてきた。驚く様子も、怯える様子もないほど、子どもは音に慣れている」と話した。梅香里では今でも誤爆や不発弾による住民の犠牲が絶えない。 昨年6月13日に起こった米装甲車による女子中学生轢殺事件の現場にいち早く駆けつけた李勇男さんは、「撮影時の心境は淡々としていた」と話した。そして、「こうしたことは日常的に起こっている。米軍はこれを交通事故だと主張するが、私は殺人だと思っている。買い物に出かけた7歳の子どもが死に、34歳の青年が死に、76歳の老人が死んだ。住民はその都度米軍に抗議をするが、彼らは対策を立てず、事件は起き続ける。これを殺人とよばず何と呼ぶのか」と語った。 彼の写真には、農民の私有地を無断で使用し、そこに「米政府の財産」と立て札を突き刺したものや、米軍装甲車の明け方の訓練に抗議する住民に対し「我々は家族と離れて大韓民国を守りに来ている」と言い放つ米兵の姿、農業用道路を疾走する米軍装甲車、そのため耕運機が通れないほど掘り返されてしまった農道などが克明に記されている。 展示作品には写真家たちそれぞれの想いとともに、現地で暮らす当事者たちの苦悩が込められていた。そして、その写真は観る者に不平等な地位協定の廃絶と植民地支配への謝罪と補償、差別のない社会、真の平和を望む力強いメッセージを訴えていた。 沖縄、大阪でも開催された写真展は8月13〜22日、ソウル市の韓国電力プラザでも開催される。(金潤順記者) [朝鮮新報 2003.8.6] |