top_rogo.gif (16396 bytes)

山あいの村から−農と食を考える(11)

山林守る公的資金は?

 私の村では現在山林(木材)にまつわるふたつの問題が起こっている。ひとつが「学校林」の間伐にかかわること。

 学校林というのは全国的に存在する。それが林業の教育や、自然観察などといったことのためではない。明治時代、日本に「学校」というものがつくられて、その校舎建設などのための資金源として、造成することを政府が強行にすすめ、指導して育成させたものである。したがって国有林などの官地をその学区の住民に貸し付け、部分林として造林させたのである。それで二官八民だとか、三官七民などの割合で、当時の営林署と学区民、ないしは地域の自治体などが契約し、売上げ金を二対八とか、三対七の割合でわけあい、学校教育のために資させるというものだ。もちろん官は土地を貸すだけで、造林、育林の仕事は全部民である学区の人たちの手によって行うものだ。そうしたものであるゆえその下草刈などには小学生、中学生であったときに私も何度かかりたてられた。

 今の子どもたちはその山林を見学する程度で手入れの作業などはしないが、戦前などには学童といえども育林作業は大事な労働力として従事したものだ。もちろんその技はまだまだ不慣れなものゆえに一人か二人位は必ずのように鎌で足を切ってしまうとか、蝮にかまれたとかという負傷者が出て、忘れがたい辛い思い出がいくつもある。

 そんな苦労の中で育てられた学校林の杉の木が学区民である我々の知らぬ間に伐採されているという問題が起こった。

 町村合併によって私たちの村は上山市になった。そのことによって学校林の事務的な管理は上山市教育委員会が行うようになっている。したがって多分そこと昔の営林局である現在の森林管理局との間では話しあいがなされていたであろうに相違ないが、森林を育てた学区民には何の連絡もないままに伐採が行われていたというのだ。しかも「間伐」という名のものだが、立派ないい木が倒されていて、残されているのが貧弱なものであるとのこと。話の上から想像すると、すでにこの山林は植栽してから50年以上になっているので林業の教科書的な見方からすれば、いい木を伐採してそれを売って金にする、そして細い育ちの悪い木を残し、それをさらに育てて、あと30年後か50年後に太い丸太にして売り物に出すといった、いわゆる収益間伐というものであるらしい。

 ところがだ、現在の木材価格は外国からの輸入に押しまくられて、ひどく低迷している。木材の市場価格から経費を逆算してくると立木のそれは無料でも買い手がつかないといったことさえある、という状況なのだ。そうしたことゆえ、50数年育てた1.5ヘクタールから伐採される立木代が、たったの13万円の代価でしかない、というのである。いったいこんなことでの処理の仕方をしたのはどこの誰なのかといった問題だ。

 地区民を代表する地区会長さん方は現地を見られてその問題について交渉を始めていると聞くが、地区民の一人として、私も全くひどいしわざをしたものだと、頭にくる。そして教育委員会の責任を問うと共に森林管理局への憤怒の念を押さえきれない。つまりまとめていえば官吏への無責任さへの怒りと、現場を知らない無知への憤りだ。さらには日本の知識や学問教育といったものに対するやるせなさである。

 もうひとつの事件は林道開設にあたっての当該木の取扱い方についてだ。その補償についてはその森林の利益に供するものだから、といった考え方で何もない。したがって30年、40年と育てた杉の木が、無惨に切り伐されている。もちろん林道は森林の育成や木材の搬出に必要かつ大切なものではあるが、しかしその取扱いについてあまりにも行政は無謀であり無責任であるというほかない。

 本来ならば持主が切って始末するものであるというのが行政当局のいいぶんであるが、それもたしかに一理はある。しかしその林道の周辺の森林はけっしてひとりだけのものではない。木と土地が潰れる人と、全然潰れぬままに林道を活用出来る、といった不公平さがある。その不公平さに行政は何の責任を持たないのは誠にけしからん。

 立木の価格は前述の通りである。伐採や搬出に費用をかければそれがみな損失にしかならない。したがって、当事者はとても手をかけられない。したがって、そんなことをしてまで林道が必要なのか、とさえいう声が飛ぶ。

 銀行が潰れるのには我々の想像もつかないような多額の公的資金をつぎ込むというではないか。その理由は公共性が高いからというのであろうが、そうであるならば、緑や、水、空気といった環境を守るための森林はさらなる公共のためにあるもの、と私はいわずにおれない。そしてそれを育てた労働を無視することに憤怒の念をおさえきれずにはおれないのである。そんな思いで、私は今晩も馬鈴薯といんげんを鯨の味付けで煮込んだ味噌汁をすすりながら晩酌のコップを手に持った。そしてさらに鯨の肉が昔とちがって高価であることにも不満をいだく。(佐藤藤三郎、農民作家)

[朝鮮新報 2003.8.8]