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シンポジウム「東アジア演劇の形成と展開」開催

3年間の研究成果が発表されたシンポジウム

 7月13日、東京都豊島区の学習院大学百周年記念会館で公開講演会・シンポジウム「東アジア演劇の形成と展開」(学習院大学人文科学研究所東アジア地域の演劇形成過程の比較研究プロジェクト、学習院大学東洋文化研究所アジア文化研究プロジェクト=共催)が開催された。

 「アジア文化専門の、自由な、創造的な研究組織」として1992年に発足したアジア文化研究プロジェクトは、日本の民族と古代文化の本質を、日本列島を孤立させて考察、研究するのではなく、アジア全域を視野に収めた広大なつながりの中で考えるための取り組みを行ってきた。

 この日の公開講演会・シンポジウムは、過去3年間の研究成果の発表の場となった。

 講演会では、学習院大学文学部の諏訪春雄教授が「芸能と演劇―シャーマニズムからの誕生―」について報告し、東京国立文化財研究所の星野紘名誉研究員が「中国少数民族の歌と舞―牛の演技のはじまり―」、東洋大学文学部の有澤晶子助教授が「中国演劇の形成」、民俗芸能学会の山路興造代表が「能・狂言の誕生―大陸芸能の日本的変容―」、慶應大学文学部の野村伸一教授が「朝鮮の祭祀と芸能」についてそれぞれ50分ずつ発表した。

 講義の中で諏訪教授は、「中国巫儺面具芸術」(江西美術出版社、1996年)に収録されている「現在中国巫儺活動与巫儺面具主要地区分布図」を提示して、儺と呼ばれる祭祀、芸能の分布が長江南部に稠密であり、北方へ行くにつれてまばらに、北緯40度の北京以北になるとほとんど消えていくことが明らかであることから、「東アジア演劇は長江流域の農耕地帯に最初に発生したのではないかと考えられる」と語った。

 また、山路代表は大陸から伝来した諸芸能に触れ、それらが日本的に変容し、能、狂言(猿楽)が誕生したと説明。野村教授は「朝鮮の芸能は農民による農楽のあそび、芸能者による謡いと語り、パンソリ、仮面戯、人形戯、百戯の系統の各種見世物、巫覡の祭儀の場に伴うあそびなどに分けることができる」と話し、かつて中国の宋代(12、3世紀)に「村田楽」があり、その系譜から清代の秧歌などが出ているが、秧歌に伴う鼓のあそび、仮装行列、寸劇などは朝鮮の農楽に似たものがあると説明した。

 講義に続き、5人の講演者らが一堂に会し、シンポジウムが行われた。

 シンポジウムでは、野村教授が「朝鮮半島の演劇が仮面戯や人形戯などで成熟した形をみせてきたのは13、4世紀であり、その引き金となったのは民間のシャーマンによる死者供養、亡霊追善の鎮魂儀礼であった」と指摘。この発言は日本の能や民間神楽の成立にもあてはまるものとして注目を集めた。しかし、能の誕生については、山路代表の「猿楽の滑稽伎をそのままに継承した滑稽劇やものまね劇が能の原型であり、死者供養の夢幻能はその後に加わってきた演目であった」という反論があった。

 諏訪教授は後日、当プロジェクト通信で「東アジアの演劇が個々ばらばらに発生展開したのではなく、中国大陸にはじまって、その影響が朝鮮半島や日本に波及したという、大きな見取り図に具体性を与えられたという点で意義のあるものだった」と述べた。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2003.8.12]