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花岡事件の民衆責任問う

元中学校教師 佐藤守さん

 秋田県大館市の元中学校社会科教師。学校教育だけでなく、様々な場を通じて、日本の戦争責任を問いかけてきた。とりわけ、地域の人たちと共に取り組んだ花岡鉱山の朝鮮、中国人強制連行調査も約40年に及ぶ。

 「44年5月29日に発生した花岡鉱山の七ツ館坑崩落陥没事故では11人の朝鮮人犠牲者が出た。この事件で鉱山の乱掘、保安の手抜き、人命よりも鉱山を大切にし、人命を無視して救出作業中止を命じた鉱山企業の責任は重大である」と佐藤さんは語る。

 鉱山企業、下請けの鹿島組、そして、侵略戦争政策を強行した日本政府に責任があると指摘する佐藤さん。

 「しかし、私たち日本国民の責任は基本的にもっと大きかった。侵略戦争を遂行する政府の政策を許し、それに便乗した企業のもとで挙国一致まじめに働くことを美徳と称え、戦争に協力したのは、結局日本国民一人ひとりではなかったのか」と今も問いかけている。

 戦前から戦中にわたって、秋田県内に「強制連行」、「移入」された朝鮮人は、中国人強制連行の場合のようにその形態が一様でなかったが、戦後も日本政府が資料の公開を一切拒否したままのため、正確に人数の把握さえできていない。

 佐藤さんによれば「民間の調査によっては1万4180人以上と推定され、そのうち花岡鉱山関係には3995人以上がいたと推定されている」。

 近年、年に2000人程の中高生たちが花岡鉱山の追悼の碑を訪れるようになったのを喜ぶ。

[朝鮮新報 2003.8.20]