平和を願う演劇の会第20回公演「ほうせん花−朝鮮女子勤労挺身隊−」上演 |
8月23、24日、愛知県名古屋市芸術創造センターで愛知県民の手による平和を願う演劇の会(平演会)第20回公演「ほうせん花―朝鮮女子勤労挺身隊―」(作・栗木英章、演出・舟木淳)が上演された。平演会では1984年から毎年8月、演劇を通じて平和の問題を広く市民に訴えようと、中国人虐殺・花岡事件、戦中の学徒動員、刈谷にあった米軍通信基地などを題材に市民参加の芝居を舞台に上げてきた。 過去の記憶 舞台のストーリーは―。 山田勝男は、テレビニュースの報道を聞いて突然うずくまった。テレビからは戦争中日本に強制連行された朝鮮女子勤労挺身隊の人たちが、謝罪と補償を求めて日本政府と三友重工業に訴訟を起こしたという内容が伝えられていた。 戦争中、足を負傷して三友重工業南工場第4友和寮の舎監代理となった勝男は、東南海地震(1944年、愛知県を中心に発生)の際、朝鮮女子挺身隊員の1人を死なせてしまう。そのことがPTSD(心的外傷後ストレス障害)になり苦しみ続ける勝男。孫娘の美沙は祖父への慰めと正義感からこの裁判に関わっていく。 それを知った美沙の父親吉則は、烈しい怒りを露にする。彼は現三友重工業発注課係長だったのだ。家のローンや学費の心配から、吉則は余計な波風を立てることに反対する。 創り手の想い 物語は、過去と現在を巧みに交差させながら、登場人物それぞれの世代、そして社会的立場から問題へのアプローチを試みている。 原作者の栗木英章さんは「舞台の現場となる三菱重工道徳工場(現日清紡)は、私の生まれ育った家から自転車で20分ほどの所。訴訟を支援する会に加わり、裁判を傍聴する中で、いつかこの問題を舞台化し、広く知ってもらいたいと願うようになった」と話した。 また、演出家の舟木淳さんは「戦後58年が経ったのに、いまだ片付いていない戦中の問題がたくさんある。戦後は終わるどころか、むしろ戦前に戻っていく感さえある。私たちの望みは1日も早くこうした問題を取り上げる必要がなくなって、本当に平和を賛える芝居を創りたいということ」と語った。作品にはこのような創り手たちの熱い想いが込められている。 犠牲になった「女子挺身隊員」と自身の姿を重ね合わせる美沙は、訴訟を支援するための合唱への参加を友人たちに呼びかける。 しかし、「政治的なことにはタッチしたくない」「めんどいことはパス」と請け合ってもらえない。唯一友人の昌子だけが「この頃拉致問題ばかりが報道されるけど、日本がひどいことした報道はない。『従軍慰安婦』でも日本軍が強制的に朝鮮の女性を従わせたのでしょ」と寄り添ってくる。 劇中には「挺身隊はひどい話。かわいそうという同情がどこかにあっても、今日本中が問題にしている拉致の問題で自分たちの加害を脇において一方的に考えたり、どっちもどっちととらえたり…」と言うセリフも出てくる。 作品は拉致問題をめぐる日本の北バッシングの状況に疑問を投げかけながら、同時に日本の過去への厳しい問いを発しているのだ。 観客の反応 公演終了後、観客からは「名古屋でこんなことがあったのをはじめて知った。戦争といえば広島や長崎しか知らなかったので大変勉強になった」(30代、女性)、「ニュースを見ても、新聞を読んでも、ここまで朝鮮の方がつらい思いをしているとはまったく知らなかった。私も日本人として謝りたい気持ちでいっぱい」(20代、女性)、「現在17歳の私にとって、彼女たちの身に降りかかったことは他人事には思えない」(10代、女性)など、たくさんの感想文が寄せられた。 教育基本法の改悪、有事法の成立、イージス艦の派遣…。過去と現在の問題を個人の生活レベルで身近にとらえた演劇は、観客たちの胸に過去の過ちを反省し、2度と戦争に荷担してはならないことを強く強く訴えた。(金潤順記者) 原告らの目にも涙
アジア太平洋戦争末期、日本は国家総動員体制のもとで朝鮮半島から多数の労働力を「挺身隊」という名目で動員した。名古屋にも当時、12歳から15歳までの少女約300人が朝鮮半島西南部の全羅南道や忠清南道から「朝鮮女子勤労挺身隊」として旧三菱重工業名古屋航空機製作所道徳工場(名古屋市南区)に連れてこられた。少女たちの多くは、自分の通った国民学校の校長先生や担任の先生から「日本に行けばお金がもらえる」「仕事をしたら女学校にも行かせる」などという話を持ちかけられて「挺身隊」へ行くことを「勧誘」されたという。 「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟」は、挺身隊の強制連行、強制労働に対する謝罪と補償を日本国と企業三菱に求めて99年に提訴したもの。裁判はこの1年内に証人尋問、原告尋問、結審を経て判決を見通す段階にきている。朝鮮女子勤労挺身隊の舞台化に原告の梁錦徳さん(72、光州在住)は「私たちのことを劇にしてくれて、涙と恨が晴れるようだ。裁判で勝てるよう、たくさんの人の応援を望む」と語った。 [朝鮮新報 2003.9.2] |