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壺井繁治と関東大震災

代わりに詠んだ「十五円五十銭」

 壺井繁治(1897〜1975)は、中野重治、小熊秀雄、岡本潤、伊藤信吉、小野十三郎たちと並んで、プロレタリア詩人として、ひとつの高峰を成す業績を残している。他の多くの作品のなかで、ひときわ目につくのは、関東大震災と朝鮮人をテーマにしたものが4篇あるという事実である。

 (一)「十五円五十銭」(詩 1947年)
 (二)「十五円五十銭―震災追想記」(エッセー 1929年)
 (三)「震災の思い出」(エッセー 1947年)
 (四)「でっかい盗まれ物―関東大震災記念によせて」(エッセー 1961年)

 日本の詩人のうち、関東大震災をテーマにして4篇の作品を書いているのは、筆者の知る限りでは他にいない。この詩人がこのような作品を残したのは、彼自身が震災直後の5日間の街歩きで朝鮮人にまちがえられそうになった恐怖の体験をしてモチーフを醸し出したからである。またそうしたモチーフが醸成されたのは、プロレタリア詩人として朝鮮人との国際連帯の強化を志向していたからにほかならない。

 「十五円五十銭」は全14連200行におよぶ、日本の詩としてはそれほど作品が多くない長詩である。詩の第8連までの前半の110余行は、震災の酸鼻な状況と兵隊、警察、消防団、自警団の殺気立った形相と暴虐をリアルにえぐり出し、後半ではそのリズムの真迫さをもって、つぎのような詩行を展開させている。

 (剣付鉄砲の兵隊が)突然、僕の隣にしゃがんでいる印伴天の男を指して怒鳴った/―十五円五十銭いってみろ!/指されたその男は/兵隊の訊問があまりに突飛なので/その意味がなかなかつかめず/しばらくの間、ぼんやりしていたが/やがて立派な日本語で答えた/―ジュウゴエンゴジッセン/―よし!/剣付鉄砲のたちさった後で/僕は隣りの男の顔を横目で見ながら/―ジュウゴエンゴジッセン/ジュウゴエンゴジッセン/と、何度もこころの中でくりかえしてみた/そしてその訊問の意味がようやくにのみこめた/ああ、若しその印伴天が朝鮮人だったら/そして「ジュウゴエンゴジッセン」を「チュウコエンコチッセン」と発音したならば/彼はその場からすぐ引き立てられていったであろう

 読者はここで、詩の題名の意味を戦慄をもって理解することになるはずである。話はつづけて、最終の第14連をもって、つぎのように結ばれている。

 君たちを殺したのは野次馬だというのか?/野次馬に竹槍を持たせ、鳶口を握らせ、日本刀をふるわせたのは誰であったか?/僕はそれを知っている/「ザブトン」という日本語を「サフトン」としか発言できなかったがために/勅語を詠まされて/それを詠めなかったがために/ただそれだけのために/無惨に殺された朝鮮の仲間たちよ/君たち自身の口で/君たち自身が生身にうけた残虐を語れぬならば/君たちに代って語る者に語らせよう/いまこそ/押しつけられた日本語の代りに/奪いかえした/親譲りの/純粋な朝鮮語で

 日本人の視点から関東大震災時の朝鮮人の受難を克明に詩型として彫琢することで、詩人の国際連帯の意志を怒りと愛情をもって表出させたこの「十五円五十銭」は壺井繁治の代表作であるばかりでなく日本プロレタリア詩の絶唱の1篇である。

 解放後第1回の震災記念日に開かれた朝鮮人犠牲者追悼集会のために書かれたこの長詩は、当日、新劇の俳優によって朗読されて深い感銘を与えた。書かれたのは47年8月で発表されたのは新日本文学の機関誌である月刊「新日本文学」の1948年4月号で、全5巻の「壺井繁治全集」(青磁社88年刊)の第1巻に収められている。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2003.9.17]