詩人、石川逸子さんの詩23編朗読劇「千鳥ヶ淵へ行きましたか」、東京で上演 |
千鳥ヶ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)に眠る32万余人の慟哭を表現した詩人、石川逸子さんの長編詩集「千鳥ヶ淵へ行きましたか」(花神社刊)の朗読劇が12日、東京都葛飾区のかつしかシンフォニーヒルズアイリスホールで開かれた。 千鳥ヶ淵戦没者墓苑には、中日戦争からアジア・太平洋戦争にかけて、海外での軍人、軍属、戦闘に巻き込まれた一般人の戦没者40万人の遺骨のうち、政府等が遺族に渡せなかった349,837体(2003年5月現在)が眠っている。 作品は、敗戦40年を迎えた1985年に石川氏が千鳥ヶ淵に立ち、「いても立ってもいられない気持ちにかられ、非業の死者たちに押されるようにして書いた」もの。23編からなる長編詩を劇団民藝の女優7人と元法政大教授の田嶋陽子さんが心を込めて暗唱した。 「大君のために」強盗の戦争に出かけ、撃たれ、千切れ、飢え、病み、一片の骨となった人々は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑地下室の6室に分けられた壷の中に押し込められている。詩は、かつて戦場だった地に打ち捨てられていた32万1632体の元人間だった「名のない」骨を想いこう詠う。 名がなければ/一枚の赤紙で狩られることもなかったろう/名があったから/父を失い弟妹を養う長男でも/田の草を取りかけていても フランス語を学びはじめていても/容赦なく 兵にされたのだ//大君にとって 国にとって/生きてる間はなにがなんでも必要で/骨になったら 名も求められない/かなしい あなたたちよ 作者は「大君のために」日本軍が殺し、餓死させたアジア・太平洋地域の人々は推定1882万人と記している。そして32万1632体の骨が埋もれていた地域の呆れる広さに「これが侵略でなくてなんでしょう」と語った。 侵略戦争を引き起こした日本の軍人らは、1年にたった1度でも、10年にたった1度でも、いや40年にたった1度でも、1882万人の中国人、朝鮮人、マライ人のたった1人の顔でも思い浮かべたことがあったろうか。 作品には、拉致され、名前を奪われ、炭坑の落盤事故でつぶれ死んだ13歳の朝鮮人少年、「女子愛国奉仕隊」の少女、「朝鮮ピー」と蔑んで呼ばれた朝鮮女性なども登場する。 人間でなくなっていたのは/私のくにの男たちなのに/かなしい殺人ロボットたちの 股間に生えた/殺人男根/それが 日本刀のように あなたを襲う/あなたの下腹を血まみれにし/あなたの誇り高い心に/軍靴で泥をなすりつける まるで映画の場面場面をつなぎ合わせて見るかのように、鮮明に情景が浮かび上がってくる。そして耳元には、朝鮮、中国、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ、ニューギニア、インド、モルジブ、サイパン、ブーゲンビル、タイ、グアムの日本兵に殺された女たち、子供たち、男たちの、悲鳴や呻き声、助けを乞う声が聞こえてくる。 劇団民藝がこの朗読劇の上演を始めたのは、敗戦50年を迎えた年のことだった。以後、毎年のように上演を重ね今年で9回目を迎えた。 85年に書かれた「千鳥ヶ淵へ行きましたか」の22編の詩に加え、エピローグの詩は上演にあたり毎年石川氏が書き下ろしている。 今年のエピローグでは、世界中の反対を押し切り戦争を起こしたブッシュとそれに手を貸した小泉を非難。戦争や劣化ウラン弾の犠牲になったイラクの子供たちの墓所を題材に、「バスラ―子供たちだけの墓地」が繰り返された。 公演終了後、石川さんは「20世紀は殺戮の世紀だった、21世紀は希望の世紀になればと思ったのに、むき出しの暴力が再び世界を覆っている。戦争を知らない若い人たちに、少しでも戦争の悲惨さを伝えられれば」と話していた。また、実行委員会の穂鷹守さんは「ここ2、3年、日本は非常に危険な方向に向かっている。戦争の記憶が薄れて行く中で、新しい戦前が近づいてきている予感さえする。こんな時だからこそ、日本人が声を上げなくては」と語っていた。 この日の公演を約300人が観覧した。(金潤順記者) [朝鮮新報 2003.9.22] |