朝鮮の食を科学する〈19〉−貴重な白トラジ、春のナムルが美味 |
トラジと民謡 「アリラン」と並んで朝鮮の民謡を代表する「トラジ」の歌を知らない人は、まずいないだろう。歌詞は、「トラジ採り」に行く乙女の愛をテーマとしたものもあれば、食べ物としてのトラジの特徴を褒めたもの、また日常生活での人情の機微をとらえたものもあるが、それらは、あの独特の節まわしと相まって、聞いている者をして、何とも言えないなごやかな気分にひきこみ、自然に体が律動するのを覚えさせてくれる。 春が来て、乙女や主婦たちが、かごをぶらさげて山菜摘みに三々五々と出かける風景は、朝鮮の春の、のどかで明るい田園の風物詩でもあった。 トラジは桔梗科 本紙8月6日号(新聞、web版未掲載)に神奈川県の日本人読者からの「トラジと桔梗の根は同じかどうか」という投書が載った。 トラジは世界のどこにでもあるという植物ではなく、主として東アジアの温帯地方の山野に分布している多年生の植物である。とくに朝鮮、中国、日本などで多くみられ、またこの地方でのみ、食用とされている。 春になると地中の多年根から芽を出し、晩夏から秋にかけて清楚な花をつける。花の色は紫色と白色の2種がある。日本で私達がよく見かけるのは紫色であるため、トラジの花は紫色だと思い込んでいる向きも多いようだが、『トラジ』の歌詞にもあるように、朝鮮では白トラジ(ペクトラジ)が貴重とされている。 食用にするにも、薬用にするにも、普通は4〜5年すぎた根の部分がよいとされている。また深山幽谷の岩の間に根を下ろして、岩石に負けずに育ったトラジは上等とされ、みつけた人は幸運だとされている。 食べ物としてのトラジ 普通トラジといえば、根だけを食べるものと考えがちである。実際、商品として出回っているものは根を乾燥したもの、あるいは漬け物(チャンアチ)にしたものである。しかし、春に芽を出す若芽や茎は湯を通してあえもの(ナムル)にするのが珍味とされている。 日本でも古くから桔梗は秋の七草の一つとして、「あさがお」と呼ばれ大切な食べ物とされて来た。朝鮮のものと同じである。万葉の時代から歌によまれるぐらい生活にとけ込んでいるが、調理方法や食べ方、または薬用としての用い方も、ほとんど朝鮮のそれと変わりがないのは、朝鮮の食文化との深い交流を物語るものだといえる。 食用としては、若芽をあえものによく用いたようであるが、近年、食生活の変化により、日本ではあまり顧みられなくなった。それは野生のものが摘みとられて少なくなったということもあるし、また花がきれいなので観賞用植物としての価値が充分であるゆえ、食べるよりも、むしろ観るものであるとの受けとめ方が一般化した結果だともいえよう。確かに、成分の面からみれば、食べ物としてとくに目立ったものがあるわけではない。しかし、このトラジを食用とする価値は、その薬用的な効用にあることを忘れてはならない。 トラジの薬用効果 タンパク質、糖質、脂質、無機質、ビタミンなど一般の成分のほかに、トラジにはサポニンといわれる成分が多い。このサポニンは、化学的には配糖体といわれる物質であるが、トラジのもついろいろな薬用効果は、このサポニンによるものだといえる。 トラジに含まれるサポニン類の中で、朝鮮人参のそれと化学的には全く同じとは言えないが比較的よく似たものが数種類存在することは分かっている。すなわち、全く同じではないが、朝鮮人参的作用が期待できるというわけである。朝鮮人参が貴重な薬とされる一方、そのイミテーションとして、しばしば用いられたのがトラジであり、それは蔓参と呼ばれる同じ桔梗科の植物であった。なぜならこれらは、根の形が朝鮮人参に似ているだけでなく、効用にもそれに通じるところがあったからである。 昔からトラジの効能とされるものを要約すれば、次のようである。 ●去痰作用―呼吸器系の病気によって生じる咳を止める。また咳が出るときは、痰を切って外に出す去痰作用をしてくれる。現在、日本で咳薬の去痰薬として市販されているものは、主としてトラジの根からとり出されたものである。 ●排膿作用―サポニン類には、化膿して出来た膿を出させる排膿作用があるといわれ、化膿症、扁桃腺炎、気管支炎などに用いると効果がある。 呼吸器系病の代表である結核の典型的な症状は、粘膜の炎症であり、咳であり、痰である。この病気の対症療法として、トラジは大切な役割を果たしていたので、昔からトラジの根が朝鮮人参とともに、結核薬として貴重がられた。 薬といえば、病気になって初めて服用するものであり、意識すれば、のどを通りにくいのが普通である。ゆえに、山野に自生する草の根を、おいしい食べ物として、その実、その成分の薬用的効果を期待するということは、生活の中から築き上げた民衆の知恵だといえるであろう。 トラジは誰でも簡単につくれる。近頃では、花屋さんに行けば、根を買い求めることができる。花を観賞したのちに食するのも一興である。(鄭大聲、滋賀県立大学教授) [朝鮮新報 2003.9.26] |